【前回の記事を読む】「え!小林先生って、あの小林秀雄ですか?」
信ずることと知ること
それに私には、「おかしなゴミ箱事件」の思い出がある。一九七四年、長谷川泰子が『中原中也との愛 ゆきてかへらぬ』を出版したことがあった。小林秀雄と中原中也と長谷川泰子の三角関係は、愛の煉獄などと言われ、有名な話である。
その頃、私は北区の下宿にいた。駸々堂でアルバイトをしていたので、本をすぐ読んだ。当時長谷川泰子はうらぶれたビルの管理人をしていたが、掲載されていた写真はさすが大部屋女優だったことを彷彿させるような美しさが漂っていた。
そして本の内容は、「中原中也はたいした人でなかったけど、小林さんは素敵な人で、私はあの人に愛されたのよ~」みたいなことが延々と書いてあった。若い私はこの人が嫌いだったし、そんなお粗末な読み方しかできなかったのだが、完全に切れていた。
本を手に取ったまま、スーッと立ち上がったのである。小林秀雄の「女は俺を成熟する場所だった」の言葉が浮かび、「成熟って何だ」とか、「こんな女に成熟させられたのか」などと思うと、悔しくて仕方がなかった。そして中原中也を哀れに思った。
「汚れっちまった悲しみに」なんて、傷口に塩をこすりつけたような詩を残し、悔しい男は精神に異常をきたして、三十歳の若さで死んでしまった。二十四歳で死んだ詩人の富永太郎が寝床で食べたうなぎが浮かび、ランボーにも似た「秋の悲嘆」の(私は私自身を救助しよう)の詩句が浮かんだりした。
それなのに、小林秀雄は生きていて、こんな女に告白させるなんて……と、怒りと複雑な感情が爆発して、本を持ち外に出た。夜の九時を過ぎていたと思うのだが、烏丸通りを歩き続けた。ゴミ箱は見つかりそうもなく、今度は鴨川に向かった。そしてやっと見つけた丸いゴミ箱に思い切り本を投げ入れた。
一瞬気分がスーッとし、「ざまあみろ」と思った。今読み返したら違う読み方ができると思うのだが……。この恋心にも似た感情がいかなるものであるのか、森有正を知ってから何となくわかるような気がしておかしくて仕方がなかった。それにしても、私は強烈な嫉妬心を持つ人間なのだろう。私の青春を熱くしたものは何だったのだろう。