【前回の記事を読む】冷めることのない恋心…稀有な存在、森有正への熱い想い
井筒俊彦
会津の小さな書店で、井筒俊彦著『神秘哲学・第一部自然主義とギリシア』が目に留まったのは偶然だった。初めて知る人だったが、パラパラとページをめくっていくうちに、この人が神秘体験、深い宗教体験をされたことが感じられた。私は何かと何かを重ねてしまう癖があるのだが、あの一日が突如浮かび、記憶の中の大切な鳥と重ねている自分に苦笑した。
『神秘哲学・第一部自然神秘主義とギリシア』の第一章自然神秘主義の主体の冒頭は、「四周の雑音を高らかに圧しつつある巨人なものの声がこの胸に通って来る。(中略)。多くの人々の胸の琴線にいささかも触れることもなく、ただいたずらにその傍らを流れ去ってしまうらしい」から始まる。そしてその声について「宇宙的音声」と書かれている。
確か、司馬遼太郎が『十六の話』の著書の中で、「アラベスク」と題して追悼文を書かれていることを思い出し読み返してみた。司馬氏は「宇宙音声」と表現されている。確かにギリシアは哲学の発祥の地であるが、ギリシア哲学の神秘主義的起源などという前人未踏の領域に足を踏み入れられた人の深い学識と情熱には感嘆せずにはいられなかった。意識の中に、このような直感を持っている人には意義のある領域であるが、どんなに理解しようとしても無縁な人には理解不能な特殊な領域なのだと改めて思った。
井筒先生自身が、「私と読者との間に、自然神秘主義にかんしていささかも『似たもの』が存在しないならば、本書は完全にその意義を消逸するだろう」と書かれている。そのような場合には、かのオルフェウス教徒の範にならい次の一句を呈して自らも固く「扉を閉ざす」と悲痛な決意をされている。これは確かに特殊な宗教体験である。
「語るべき人々にのみ私は語る戸を閉ざせ 局外者たちよ」三十数ヶ国が話せる語学の天才だけでなく、文学・イスラム・神秘学者で、気になっているエラノス会議のメンバーの一人でもあり、大変な碩学の人であったことを知った。ソクラテス以前期の哲人たちの思想の根底に、一種独特な体験の生々しい生命が伏在しており、すべての根源に一つの宇宙的体験が存在していたのだという。