【前回の記事を読む】勉強も仕事も完璧なのに…順風満帆な彼女の唯一の悩みとは

マドンナの娘

「蔦先生は、お子さんとは?」

「最近孫が生まれたと聞いて、会いに行こうかと思うが、少し気恥ずかしくてね、父親面するのが」

「父親って妙だよね。私の父なんか、何にでもいちゃもんつけるクレーマー野郎。美琴ちゃんのお父さんてどんな人? 勤め人?」

「ずっと信用金庫に勤めてて、昨年定年退職した後も再雇用で」

「真面目な人なんだろうね」

「まあ、お酒は飲むけどタバコもギャンブルもやらず、コツコツ勤めて支店長止まりってとこですかね」

「でも、お父さんには失礼だけど、美琴ちゃんのお母さんがそんな美人だったら玉の輿ってこともありそうなのに、堅実派だったのね」

「母の実家が商売やってたので、勤め人で数字に強いのがいいと思ったみたいですよ」

信用金庫のあたりからソワソワし始めた蔦が、美琴をまっすぐ見て(ただ)した。

「島田さん、ご実家どこ?」

「浜松です」

「浜松にハルミ画材っていう画材屋さんがあったと思うんだけど」

「あ、はい。母の実家がハルミ画材です」

「はは、まさかと思ったけれど、そういうことか。十和子さんの娘さん?」

「は、い、え?」

その後蔦が語ったところでは、最初の看護師の妻と別れて北陸を離れた彼は、本人曰く「太平洋の陽光を求めて伊豆、焼津、浜松あたりを彷徨」した。そこで偶然入った浜松の画材店で店番をしていた十和子と出会ってしばらく腰を落ち着ける気になり、浜松市内に安いアパートを借りて子ども向けの絵画教室の講師の職を得た。

十和子は美しいだけでなく美術に対する造詣があり、愛想良く働き者でもあった。蔦はすっかり十和子に夢中になり、肖像画を描かせてほしいと口説き続け、一年後にようやくOKをもらえた。画材店の片隅にイーゼルと折り畳み椅子を置き、店番をする十和子を描き続け、絵が完成したとき初めてデートに誘った。

秋口の海岸へ二人で行ったのが最初で最後のデートとなった。有頂天だった蔦に、十和子は地元の信用金庫に勤める男のプロポーズを受けるつもりだ、と告げた。「彼は真面目で頭が良くて、浮気しない人だと思う」と十和子は言った。「全てが俺と正反対ってことか」と蔦は落胆した。彼は「マドンナ」と題した油彩画をハルミ画材に寄贈し、北関東方面に向かった。そして茨城で二番目の妻と出会ったのだそうだ。