【前回の記事を読む】ただの頼朝の弟という存在…反感を買った義経のまさかの原因

平泉

謡の終わり近くになると、それまで晴れ渡っていた空に黒雲が湧き電光が閃くとともに雷鳴が轟き、ざわめく群衆の前で水面を飛沫が音を立てて叩き波紋ができた。やがて対岸が霞むほどの激しい降りになった。これを見て法皇は立ち上がり金扇をかざし叫んだ。

「見事である。天下一の白拍子である。あれなる者をこれへ」

舞い終わり、ずぶ濡れで(ひざまず)く静は女官に手を取られて、舞殿から廻廊を渡り階下に(いざな)われた。

「そこは濡れる。ここに上がれ」

静は数段にじり上がり、畏まった。

「竜神を目覚めさせた。見事である。名はなんという。よい、直答を許す」

(いその)禅師(ぜんじ)が娘、静と申します」

(おもて)を上げよ。そなたが静であるか。評判は聞いておるぞ。この雨が民を救うであろう」

貴人が衆目の前で興奮することも、口数が多いこともあり得ないことであったが、法皇は当時流行した庶民の楽しみ今様を好んだ。その歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を編纂したことでわかるように、代々の皇族とは異なり、庶民が親しみを持てる存在であった。静はこの時褒美として舞衣(織られた模様から後に『蛙蟆龍(あまりょう)の舞衣』と呼ばれる)を賜った。

女官から受け取った舞衣を押し頂いた静に法皇の言葉が続いた。

「申したきことはあるか」

「恐れ多いお言葉と御衣を賜りまして、これに過ぐる栄誉はござりませぬ。さりながら、竜神様を目覚めさせたのはただ法皇様の民を思われるお心でございます」

「ん、そなたの手柄でないと申すか、殊勝である」

群衆たちは急な降雨に興奮冷めやらず、ずぶ濡れになりながらも誰一人立ち去ろうとはせずに法皇と静から目を離さなかった。会話は聞こえずともこの情景と静の名は都中に広まった。この雨は三日三晩続いたと言われている。そして静はこの後磯禅師と共に法皇の御所に出入りを許された。