【前回の記事を読む】牛若丸が義経になった瞬間。独立を決意し一人きりの元服を行う

平泉

空が白む頃作業は終わった。

「九郎、よくやった。国のお館様に荷駄の無事と一緒に報告しておく。お館様は喜ばれるだろう」

この騒ぎの後、九郎は馬を与えられて吉次と馬首を並べた。僧正ヶ谷での修練で身に付けた敏捷さ、体幹は初めての乗馬でも活きた。

「口取りはそれがしが務めます」

突然大柄な男が馬前に立ちくつわを取った。

「何者」

「もうお忘れでござるか、伊勢三郎義盛でござる」

見ると、烏帽子をかぶり、裾をからげて旅姿でいる。

「あの賊か」

「盗賊は昨夜で廃業してござる。本日からはあなた様の下僕となった」

「はて、伊勢三郎義盛というのは覚えておるが、下僕にした覚えはない」

「私が決めました」

そのやり取りを聞いていた吉次が横から口を出した。

「九郎。面白そうな男だ、下僕になりたいというなら使ってやれ。この男は役に立つ。何人も男を使ってきた俺だ、人を見る目に自信はある」

「九郎と呼ばれたようですが、お名前は」

「源九郎義経」

「源というと、源氏にゆかりがございますか」

「義朝の九男で九郎だ」

「道理で何かが違うと思いました。九郎義経様か。こりゃ大吉を引き当てた気分です」

平泉に到達し、お館様と呼ばれる従五位下鎮守府将軍藤原秀衡と対面したのは、東国第一の巨刹毛越寺の大池を望む広間であった。

「ここ奥州は八幡太郎義家公ゆかりの地、その四代末の義経殿が参られた。歓迎いたします。聞くと父君義朝様の仇を討ちたいと望まれている由、この地には平家の力は及びませぬ、空も地も広く思う存分その時まで鍛え為されよ」。

秀衡は義経の修行相手として、佐藤継信・忠信兄弟を指名した。この二人はこの後義経を支えて行く。平家の追手の手が伸びることもなく、義経が平泉で佐藤継信・忠信兄弟と武芸・乗馬などに励んで六年が過ぎ治承四年(一一八〇)、頼朝が伊豆で打倒平家の挙兵をしたという報告が秀衡に入った。

秀衡は伝えなかったが、やがて旅人を通して義経の耳にも届いた。

義経はその足で秀衡の下に向かい、頼朝の陣に入りたい旨を伝えた。しかし、秀衡は事実を探っているところであり、確認できるまで動かぬよう諌めた。

やがて頼朝は石橋山で敗れ安房に逃れたという。それを聞いて義経は一刻も早く参陣したいと言って、重ねて許しを求めた。頼朝と後白河法皇頼朝は都で栄える主流の平家に反感を持つ坂東平氏と東国に点在する源氏を纏め、再度反旗を翻した。という報告が入り、秀衡はもう待てない義経に佐藤兄弟とその配下二十騎程を付け参陣を許した。