【前回の記事を読む】比叡山の麓で…将来を嘱望された、五歳の少女の懸命な修行
平泉
承安四年(一一七四)春、奥州平泉から吉次という商人が百人ほどの隊商を引き連れ都に入った。隊商には胴丸を付けた武者が含まれている。駿馬に荷駄を背負わせていたが、それはことごとく砂金であると京雀たちは騒いだ。もちろん流言であり実態を明かすはずはないが、物々しい護衛はそれを裏付けているようであった。
吉次が仕えるのは、奥州の藤原秀衡である。都では坂東を未開地と見ていたが、白河の関から更に北に位置する奥州は異国であり、独立国の如く自立していた。冬は寒く雪に閉ざされるが、そこは砂金を産出した。それに、武門が求める良馬を多数育てている。白河以南にこれほどの産駒はない。
また、広い大地に十七万騎の兵力を育てていると豪語していた。それを聞くと大変な勢力である。しかし、あまりにも遠い。そして、奥州藤原家は都に敵対することはなく砂金をはじめ朝廷に貢物を欠かさず、陸奥守と鎮守府将軍の官職を得て平穏な営みを望んでいた。
吉次は清盛に会おうとしたが、この時は後白河法皇に平家の守護神である厳島神社に御幸を求め、強行していた。宮中の最高権力者を一門の守護神に参らせるなど前代未聞のことであった。
「わかった。待とう」
手持無沙汰の吉次に、興味ある話が聞こえてきた。
「なに、源家の御曹司が鞍馬に預けられて十五歳になるのに、まだ得度を受けていないとな」
平家全盛の世なれど、源家の血筋は貴種である。
「面白い、会ってみたい。繋ぎをつけろ」
吉次は遮那王と面談してその器量を測り、鞍馬から抜け出したいという思いを叶えることにした。つまり、奥州まで連れて行くことを承知した。
吉次の手引きで、遮那王は吉次の隊商に紛れ込み都を抜け出した。名を牛若に戻し、弁慶には事の次第と、平家討伐の機を迎えたら重家と駆けつけるよう伝えた。重家を伴いたかったが吉次が許さなかった。