序
この物語は、平安時代末期に、白拍子という男舞で日の本一と称された静を主人公としている。相手役は、平治の乱で平家に敗れた源氏の頭領源義朝の九男義経(幼名 牛若)で、歴史上悲運の名将として語り継がれてきた。二人には九歳の差があり出会うまで時間を要する。その日まで義経の生い立ちに紙面を費やすことをお許し願いたい。(物語としては「堀川館」から始まる)
京都北方の鬼門に開かれた鞍馬寺の僧正ヶ谷と呼ばれる一隅で、承安二年(一一七二)夏、毎夜鋭い気合と野太い声の応酬が響いていた。杉の大木に囲まれ昼なお暗く、人がほとんど立ち入らない場所である。声を聞いた者達は当時恐れられた天狗が騒いでいると、近付かなかった。
その谷には不動を祀った祠があり、その前方やや開けた場所で山伏姿の厳つい男の六尺棒と小柄な稚児の木刀の打ち込み稽古で放たれる気合がその正体であった。僅か一本の松明の灯りだけで相手との間合いを測る。木立で風が遮られて二人の熱気が籠り、稚児は全身が汗にまみれていたが、山伏はどのような修行でそうなるのか、額が僅かに濡れているだけだ。
稚児の名は遮那王、幼名を牛若という。山伏は義朝の家臣筆頭であった鎌田正清の子正近で、今は正門坊と名乗っていた。
平治の乱(一一五九)に敗れた義朝は正清らと関東に落ちる途中、尾張で寝返った家臣の騙し討ちにあって共に非業の死を遂げていた。