【前回の記事を読む】【時代小説】降りしきる雪の中、幼子二人を伴う女の正体は…
序
武道には縁のなかった遮那王を、武門たる者の素養として正近は夜毎鞍馬に通って鍛え、遮那王はそれに耐えた。
肉親の愛に飢えていた遮那王の心は、顔も知らない父の仇討と、まだ見ぬ兄三郎頼朝への敬慕の思いで支配されていた。同腹の七郎今若が僧全成、八郎の乙若が僧円成になっていることに関心はなかった。自分は義朝の九郎であり僧にされる前にここを抜け出す。その思いを植え付けた正近は、入山から四年後の夜僧正ヶ谷に一人の荒法師を連れてきた。
「これは叡山の僧で武蔵坊弁慶という者です。天狗並の武術を習得し、天狗に引けを取らない知識・処世術を身に付けております。この者は平家だけが跋扈する今の世に不満を持っており、遮那王様に従い平家を討ちたいと申しております」
「叡山西塔の武蔵坊弁慶と申します。正近殿より遮那王様が義朝様の九郎殿に当たられること聞き及びました。遮那王様がお父上の仇である平家を討ちたいと思われていることをお聞きして、拙僧にお手伝いさせていただきたくまかり越しました」
「この者は、熊野の別当湛増殿の子、出自は確かで人物も信用できます。お側に置いてくだされば必ず役に立つと思います」
「正近の目にかなった者なら傍にいてくれ。私は世情のことに甚だ暗い」
「はい、なんでもお申し付けください」
遮那王、後の義経を生涯支え続けた弁慶の登場である。
「遮那王様、これ以上私があなたにお教えすることはありません。よくぞここまでになられた。後はご自身で鍛えられよ。ただ、平家を一人で討つことはできません。討伐のための旗揚げをしなければなりませんが、それは源氏の嫡流頼朝様がなさるでしょう。
遮那王様は兄上を支える将の一人になることです。ここで身に付けた武術は身を守るだけのもので、戦に於いて将の役割は戦術を立て指揮することです。そのためには用兵の知識・経験・閃きによる判断力・決断力を磨き、それを実行する勇気を身に付けなくてはなりません」
「わかった。そのためには何が必要か」
「その基礎として兵法を学ばなければなりません。兵法とは先人が用いた戦略戦術とその結果から編み出されたもので、良い書がございます。今は唐と呼ばれている国の先人で軍師の太公望呂尚という方が、その主である周の武王との問答形式で戦術・用兵を説いた『六韜三略』という書がこの国にも伝わっております。それを手に入れますので参考になさってください」
「まだ、正近を越えたという自信はないが、そなたにも考えがあろう。私に生きがいを与えてくれたことに礼を言う」
「では、わたしはこれにて。本懐を遂げられるよう遠くにあって祈っております。お話しした兵法書は弁慶に託してお届けします」
正近は、この日を最後に姿を消した。