堀川館
その頃、都では堀川館の門前に一人の若者が立った。
「こちらに弁慶と言われる僧形の方がおられると思いますが、お取り次ぎ願います。私は鷲尾三郎義久と申します」
惣吉が弁慶に取り次いだ。
「おお、やっと来たか。ここに連れて来てくれ」
「弁慶殿、遅くなりました」
「うん遅い、親父殿に反対されたか」
「いえ、戻らぬ覚悟で行け。と言われましたので、いろいろ片付けてから参りました」
「そうか、殿は夕刻には戻られるであろう。惣吉、お福殿達に会わせてやってくれ。この者は鷲尾三郎義久といって、一ノ谷合戦で杣道を案内してくれた者で、殿が館に来るよう言われていたのだ」
「そうでありましたか。こちらへ、奥向きの御用をする者達に会わせましょう」
夕刻になって義経は検非違使の役所から帰ってきた。喜三太が口取りをして、有綱、佐藤兄弟が騎乗で続いていた。弁慶が迎えに出て、
「殿、お帰りなさいませ。鷲尾三郎義久が来ております。義盛、常春、重清は市中に出て見回っており、まだ戻っておりませぬ」
郎党たちは、検非違使、兵衛府、衛門府とは別に独自に見回りをしていた。
「ん、わかった。義久はやっと来たか」
義経はこの日、頼朝の許しがないまま従五位下の官位を受けることに心を決めた。まだわだかまりがあって心は晴れなかったが、法皇に呼び出され、受けることを直接命じられた。
除目には儀式があって任命に細かい作法が決められていたのを法皇は無視して、直接口頭で義経にあたえた。更に殿上人とはいえ従五位下程度の官位を法皇自ら申し渡すことなど、周囲は反対したが、法皇はこれで頼朝がどう出るか見たかったのだ。
『宮廷の官職を与えることに何の遠慮がいるか』