堀川館

除目の御礼のための参内の時、義経は武家としての様式は取らず、宮廷人として衣冠束帯で院に入った、そして牛車を使った。それも八葉の車という華麗なもので、五位以上の官位を持たないと使えない仕来たりがある。早速官位の権利を行使したのだ。認められてはいるが、判官程度の乗り物ではない。相当の行列も(しつら)なければならない。除目を認めない頼朝への反発がそうさせたのか、単に顕示欲が強いのか。とにかく、法皇は上機嫌で待っていた。

型通りの謝辞を述べると

「堅苦しい挨拶はそれまで。九郎、今日はそなたを楽しませようと余興を用意した」

法皇は庶民が楽しむ今様を好むだけあって、感覚が諸事気さくであった。権力争いで策略を巡らす一面も秘めているが、表面には出さない。

「恐れ入ります」

「九郎は白拍子を見たことあるか」

「噂で耳にしたことはありますが、見たことはございませぬ」

「左様であろう。市中警備で忙しかろうからな」

法皇の合図で、白拍子の一座が静を中心にして中庭に設置された舞台に上がって平伏した。

「これなるは、わしが天下一の白拍子と認めた者で、名は静という」

「はい」

「静。面を上げよ。今日はこの源九郎義経にそなたの白拍子を見せたい」

静はわずかに視線を上げて法皇に目礼した後、義経をそっと見た。

『この方が一ノ谷の英雄と騒がれる方。意外と小柄なれど清々しいお姿』

「九郎のことは知っておるか」

「此度の一ノ谷合戦でお手柄を立てたお方と」

「左様。源氏の一族で、都で幼少の頃を過ごしたというが、白拍子を見たことがないようじゃ。都の雅を見せてやれ」

「はい。では」

優雅に立ち上がった静は、扇子を開き謡いながら舞い始めた。いつの間にか法皇の後ろに品の良い老婆が座っていた。

初めて見る白拍子を義経はうっとりと眺めていたが、ふと静の眼が自分一点に注がれていることに気が付いた。その強い視線に義経は心を打ち抜かれた。日頃通う公卿の娘たちの眼にはない強い光を帯びている。謡の内容はこの世の平和を寿(ことほ)ぐもののようだが、義経の耳では聴き取れない。法皇は満足げに義経を眺めていた。

二つの演目が終わると、法皇は静を招きよせた。

「相変わらず見事なものぞ。これなる九郎も喜んでおるようだ」

「有り難きことにございます」

「九郎。何か申せ」

「いや、あまりにも見事な舞に圧倒されました。言葉が急には浮かびませぬ」

「そうか、言葉がないか」

法皇は愉快になり、

「酒をもて。静、九郎に酌をしてくれぬか」

「法皇様。静はこれまで法皇様のご命令でも酒席に侍ることは致しておりませぬ。ご容赦願います」

老婆が囁くように言うと、いつの間にか着替えて老婆の後ろに控えていた静は、

「お母様、九郎様にお酌しとうございます」

「なんと、受けてくれるか。それは重畳。わしもまだ受けたことないぞ」

「静、九郎殿に酌をするという事は、これまでお断りしてきた法皇様にご無礼になろう」

「よい、だが驚いたのう」

これまで法皇の御前でも、静は酒席に座ることさえ拒否していたのだ。

一方義経は側室を持ち女性には疎くないはずであったが、静が傍にいるだけで心が乱れていた。舞の時も酒席でも下段で控えていた有綱・佐藤兄弟は、義経の常ではない様子を見て含み笑いをしていた。

『殿は何かおかしい。あの娘に心を奪われたようだ』と三人で目を合わせた。