【前回の記事を読む】救急車利用の5割は軽症…隊員「勘弁してよー。もう10件目」
心肺蘇生
「指示要請。八十九歳男性、自宅居室でCPA(Cardio pulmonary Arrest:心肺停止)。既往症は高血圧、かかりつけは近所のクリニック。心電図はPEA(Pulseless Electrical Activity:無脈性電気活動)。家族はいませんが、自宅で倒れているところをヘルパーが発見しました。特定行為、いかが」
「家族はいない? ……特定行為はしなくていい。CPR(Cardio pulmonary Resuscitation:心肺蘇生)だけ継続して、二次病院に搬送しろ」
「えっ……。CPRのみ継続で、二次搬送、ですね」
高度な救命処置ができる救命救急センターに搬送しないってことは、死亡確認か……。舞子は、受話器の向こうの医師の言葉を復唱し、電話を切った。
救急救命士は、気管挿管や薬剤投与などの高度な救命処置、いわゆる「特定行為」を行う際、医師の具体的な指示が必要になる。携帯電話や無線機で、指令室に待機している救急隊指導医に状況を伝え、医師の了承を得てから医療行為を行う。
「隊長、医師の指示は、特定行為を行わずに二次搬送です」
「よし、わかった。搬送に移行するぞ。ポンプ隊長、CPRを中断して、布担架でストレッチャーまで搬送だ。岩原士長は救急車からストレッチャー降ろしておいて」
ここは、木造アパートの二階居室。菅平が、バッグ・バルブ・マスクという器具を傷病者の口にあてて人工呼吸をしながら指示を出す。
「胸骨圧迫、交替します」
舞子は傷病者の胸に正対し、両手の付け根を胸の真ん中に置いた。
一、二、三、四、五……。
ヘルメットを伝って汗が落ちる。まだ五月とはいえ、昼下がりのこの時間は、もう夏も近いことを気づかせるほど気温が上がっている。
散らかった総菜の容器と、排泄物の臭い。窓を閉め切った部屋の中は、お世辞にも快適とは言えない。この人、いつから動けなくなっていたんだろう。