心拍再開
「それに、私が救急救命士になったばかりの頃は、除細動でさえ、医師の指示が必要だったんだ」
除細動というのは、心臓に電気的刺激を与える処置で、現在はAEDを用いて一般市民でもできるようになっている。
「心室細動が出ていても、医師の指示を受けなければ電気ショックを与えることが出来なかった。当時は携帯電話もなかったから、医師の指示を受けるために現場で公衆電話を探しているうちに、心室細動の震えが小さくなってしまって、除細動ができなくなってしまったこともあるんだよ」
救急救命士法は一九九一年に施行された。当時に比べ、今は処置の範囲も進化してきた。
救急救命士にアドレナリン投与が認められたのは二〇〇六年。その二年前には、気管に直接チューブを通して呼吸の通り道を確保する気管挿管が認められている。
「アドレナリンの投与にしても……いくら、アドレナリンが効果的な薬剤だとしても、心臓が止まっている傷病者は自分の力でそれを全身に循環させることはできない。そのために、大切なのは何だ」
水上が答えた。
「絶え間ない、胸骨圧迫です」
「そう。大切なことは、投与した薬剤を心臓まで送り届けることだ。絶え間ないだけではなく、適切な深さとリズム、そして、一回ごとにしっかりと圧迫の解除をして、次に送り出す血液を心臓に溜めるんだ。それがプロの胸骨圧迫だ。そして、質を落とさないために……」
「二分ごとに交替ですね」
「そうだ。どんなに鍛えた隊員でも、適切に全身全霊を込めた胸骨圧迫をやっていれば、一、二分もすれば疲れが出るといわれている。でも、救急隊三人しかいない現場では、交替要員がいない場合がある。だからこそ、普段から訓練を重ねていないといけないんだ」
菅平が舞子に言った。
「赤倉くん。君は、アメリカのパラメディックがいくつもの薬剤を使って、すごいと言っていた。でもね、日本の救急救命士も、少しずつではあるが……頑張ってきたからこそ、今があるんだよ」
舞子は、菅平から救急救命士の処置範囲が徐々に拡大してきた歴史を聞いて、先輩が築いてきた歴史の重みを感じた。
確かに、シアトルで見たパラメディックの救急救命処置は日本の救急救命士には許可されていない高度な処置が多く、タイムマシンで未来の国に来たかのように錯覚した。いつか、追いつきたいと思うようになった。ただ、日本の救急救命士がどのように誕生して、どう発展してきたのか、もっと深く勉強しなければ、この先の道を作っていくことはできないだろう。
新しいことを学ぶのも大切だが、ベテランの隊長と乗っているうちに、様々なことを吸収しておかなくてはいけない。
数日後、審査会の結果が通知された。署の代表に選ばれたのは、出張所の救急隊だった。その隊は、ベテランの隊長・隊員・機関員で、三人とも、現場の百戦錬磨のメンバーであった。
評価では負けた。しかし、この一ヶ月、三人が一生懸命訓練に励んだことは無駄ではなかった。舞子は心からそう思っていた。