【前回の記事を読む】「この子たちに足りないのは…」対戦校の先生からまさかの一言

エイトビートの疾走

垣内先生は、それでも生徒への指導があるし、基は大磯東の様々なグッズをクルマに積んで運ばなくてはならない。

佑子は、バルちゃんと一緒に、緒方さん夫妻とともに、稲村ケ崎高校から少しの距離の、岬の公園に向かった。潮騒のとどろきと海風と、初夏を感じさせる陽光の中で、ベビーカーの中の赤ちゃんが微笑む。まだまばらな柔らかい髪が風に揺れて、ぽよぽよの頬がデリケートなお菓子のよう。存在そのものが喜び、という赤ちゃんを見つめる緒方さんの目は、やっぱりとろけそうなあたたかさに満ちている。

「のぞみ、って名付けたのよ、この人」

沙織さんは、バルちゃんからさんざん話を聞いてきたから、初対面のような気がしないけれど、直接会うのは初めてだ。

「子どもの顔見たとたんに、本性現したのよね。生真面目なスポーツマン、っていう雰囲気で高校時代は通してたけど、実はテツだったの。女の子だったらのぞみ、男の子だったらはやぶさって名付けるつもりだったんだって。女の子で、良かった」

「それって、新幹線の名前、ですよね」

「そ。まぁ、N700Sとかって付けられなくて良かったけど。あ、それじゃ区役所も受け付けないか」

あはは、と沙織さんは笑う。結構豪快なヒトかもしれない。

手に取るような近さで、江の島が見える。その右側にうっすらと稜線だけの富士山。その山の姿に向かって行くように見える、おもちゃのような江ノ電。

「江ノ電の駅で、バルちゃんは沙織さんに救われたんだって、前に聞きましたけど」

「鎌倉高校前駅だよね。バルがあの時何考えてたか、もう忘れたけど、私だって、あの頃、バルがいてくれてよかったな、って思うよ。救われたって言っても、バル、ちょっと複雑な子だったからね。あの場面も、ちょっとクサい場面だったかもしれないけど、必要な場面だったんだよね。ん、ユーコさんだって、そういうのあるよね」

ある。

なのだけれど、初対面なのにずいぶんいきなり直截な話をする人なんだなと思った。緒方さんは抱きあげたのぞみちゃんに波立つ海を見せようと歩き、バルちゃんはその笑顔をのぞき込みながら、海沿いの展望所に向かう。

ごうごうと海は波の音を響かせているけれど、その色は春の明るい色彩に染まっている。