声、意識と共に鮮かに景色が広がる。小学生の頃、頼みもしないのに幾夜にも亘って連続物のように見たことがある。
一日目、濃い緑色寒い地方の水と思われる水が逆巻いてやってくる。
二日目、水は通っていた小学校の坂道近くまで押し寄せてくる
三日目どれ位月日がたったのかわからないが逆巻いてきた水は引かずにそのまま残っている。
しかし景色は一変し現在の南方の海を見るようで群青色になり、私はそれを見てこんな良い世界があるのかと喜んでいる。
後日小学校に行ってみると、小学校校庭には海抜六十メートルの標識があった。
校門と講堂の間には大きな蘇鉄の木があり校門から少し下った所には観音堂があり、片田舎の町には珍しいバナナの木が小さな実をつけていた。此処まで水が遡ってくるのかと思った。是は夢の話である。私に未来を見る能力などない。
又、別の日、板の間で転寝をしているとき、家の南の方から庭に車が入ってくるのを見、転寝から起きて庭に出ると父がいたので、こっちから車が入ってくるようになるよと言うと、父は二軒下の家を指し、「あの家を見てみ、あの家は北屋敷と呼ばれている」と言った。
その家が北屋敷といわれているのは知っていた。理由は知らなかった。
父はこう教えてくれた。あの家は屋敷全体が南に向いている、家の前には谷川が流れている。谷川に沿って道がついていて、道からは谷や畑を越えて人が出入りするようになっている。綺麗な飲み水、人は南から入って来て使った水は北に流れるようになっている。
家には家相というものがあり、あの家は、理想的な家相をしている。我が家も今と反対の道になれば格段によくなるが、御堂までは車が来るがそれから先は、人様の田畑、竹藪、谷を越えて来なければならない。難しいことだとは思わないかと言われた。
しかし、数年後地権者を説得し、何とか人と単車とだけは南から来られるようになった。田畑を狭めることなく、山側を削り竹藪を開き谷川に橋を架けて、これだけでも相当な労力であったろうと思われる。
また数年後、どうしても車が庭に来られるようにするために再度、道の拡幅工事の相談に行ったが一軒の地権者だけが、金銭の問題ではなく畑が狭くなるのはだめだ、山側の斜面を削れの一点張りであった。
斜面は単車道のときに削っている。車が通る道となれば切土が大きく相当の側壁が必要となり、とても一農家の負担できる額ではなく、幸い町並から少し離れた平地に二か所の田を持っていたので、山の家を諦め平地に移ろうということになり、とうとうこの家に車が来ることはなかった。神棚の一切を拭き終わり、やれやれと、縁側に行き座ったところに両親が帰ってきた。父が神棚を掃除したんかと言ったので、うんとだけ答えた。
つい先ほどまでのことを話してもわかってもらえるとは思えなかった。また父親に、掃除したより汚したのと違うか。と言われ、びっくりして神棚を見るとお宮、花瓶などは白く汚れている。しまった、と思ったがもう遅い。
神様はおおようなもので、お詫びの気持ちが通じればよかったのかもしれない。首に異常は感じなかった。此のとき私は強く思った。奇跡と言えるものはない。何があっても全ては神の手にある。唯それを意識できるか、できないかだけだ。此の思いは後々まで続くことになる。