【前回の記事を読む】身の縮む思い…2つの宗派に籍を置く私が放たれた一言とは

もう一つの理由 縁側にて

夕日を浴びて縁側に座り、興味のある本を読む。此の時間が一番好きであった。

縁側から中の間に鞄を投げ入れ、本を手に取ったとき異変が起こった。首が固まってしまったのである。自分の頭が上げも下ろしもできない。何か強力な力で首根っこを掴まれているようである。その瞬間から私の時間は止まってしまった。本当に痛いとき、苦しいときは一分か、一時間かわからない。顔が正面を向いたまま固まってしまった。

暫くすると、思いっきり左に向いて動き、そのまま動かない。顔を正面に戻そうともがき始めた。縁側に頬を押しつけ正面に戻そうとするが、体が動くばかりで首は戻らない。柱にしがみつき頬を押しつけ、首を回そうとするがどうにもならない。

どれほどの時間がたったのかわからない。縁側から離れ、谷川から引いた水を溜める水屋の方へふらつきながら行くと、突然逆の方に首を捻じ曲げられた。其のまま母屋を通り越、納屋のあたりまで来ると、また逆に捻じ曲げられた。自分の意識はしっかりしている。しかし、体が、首が思うようにならない。

誰か助けを呼ぼうと思っても視界の中には人影はない。他人が見れば、この子は自分で首を捻じ曲げ、苦しんでいるとしか見えないであろう。痛い、苦しいが続くが頭の中ではいろんなことを考えている。人が、気が狂うときはこのようなことなのかもしれない。自分は此のまま、気が狂った人になってしまうかもとか考えている。首はどうにもならない。

何度か首を捻じ曲げられる方に向けて縁側を通り過ぎ、右に行ったり左に行ったりしている内に変なことに気がついた。縁側を通り過ぎると逆に曲がるのである。何度か繰り返している内に元の場所に戻り今度は夕日を背にして部屋の中を見た。夕陽が部屋の奥まで差し込んで明るく見えた。不自由な姿勢で部屋の中を見ていて、あっと声を上げた。思い出したのである。