阿含宗を去った理由

何回か通ううちに不思議なことに気づいた。

瞑目合掌して額のお浄めを受けているとき、手をかざしていると、手から光が出ていると教えられているが、一人一人光の色が違うのである。濃い紫色の人、赤と緑が斑に混じった人、同じ人から受けると決まって同じ色なのである。

なぜそうなるのかわからないので当人には話さなかったが、導士さんにお浄めしていただいたとき、こっそり、一人一人光の色が違うのはなぜですかと尋ねると、本来、光の色は人の目には見えないもの、お浄めを受けていると見えなくなりますよとの答え、或るときを境に見えなくなってしまった。

二月初めに世界真光文明教団の阿倍野道場に行き何回目かのとき、真光での師となる当時の阿倍野道場の道場長であり、教団の関西方面指導部長であった工藤氏にお浄めをしていただいていたときに、何か特別な修行でもしていますか。と聞かれ、

「特別なことはしていませんが、風呂に入るとき一切湯を使わず、水だけで済ましています。自己流の水行とでもいえば良いでしょうか、他には何もやっていません」と答えると、暫し沈黙のあと、大阪には大きな川ありますね、川の流れは常に上流から川下に流れています。川下から上に流れる水はないと思いますよ。法も同じで、かみ、すなわち神から流れ出て人間界に流れてきます、貴方のやっていることは水の流れに逆らう小さな石ころではないのですか。

そう言われ、根が単純な私は、そうかもしれないと思い、その日を限りに水行をやめ湯を使い始めた。湯の温かかったことを覚えている。

次の日から私をはじめ家族が寒い寒いと言い、炬燵だ温風ヒーターだと家族で丸まってしまった。