高校時代、たった一度だったけど退学を考えたことがあった。あの頃、中学校の同級生のほとんどが、「金の卵」と呼ばれ集団就職をして東京に向かった。頑張って東京で働いているだろう友だちを想像すると、私にもできるかもしれないと思ったがその勇気がなかった。
いたたまれなくて、大切にしていたオリンピックの記念の五百円硬貨をバス代にして、家に帰ったこともあった。その頃、良寛の詩に出会った。
円通寺に来ってより
幾度かか冬春を経たる
衣垢づければ 聊か自ら濯い
食尽くれば 城闉に出づ
門前 千色の邑
更に一人を知らず
曾て高僧伝を読む
僧は清貧を可とす可し
意味など深く理解できたわけではなかったが、私の求めている世界がこのような詩の中に存在しているような気がした。こんな詩をノートに写し、私は何に慰められようとしたのだろうか。私はずいぶん変わった女子高校生だったのだろう。
良寛に出会ってから、男に生まれていたら修行僧にと思うようになり、同じクラスの禅宗のお寺のお嬢さんだった友人にお願いし、坐禅に通うようになった。
心を落ち着けようとするのだが、雑念ばかりで、彼女のお父様には迷惑をかけ続けた。それでも、警策で背中を打たれると、心がピリッとして嬉しかった。
たった一人の女子高校生のために、おつき合いくださった今は亡き曹洞宗・恵倫禅寺の佐藤徹英禅師には感謝あるのみである。