永遠の阿修羅

数年前、伯母さんが亡くなった。線香を手向けた時、少女のような可愛い顔に驚かされた。当時、精一杯受験生の代理母をしてもらったような心持ちに襲われた。

幼年期から感受性が強かったせいか、進学校自体のシステムについていけない私自身に原因があったように思われた。

高二の秋の修学旅行は、京都・奈良だった。

私は最初から驚いてばかりいた。なんと不思議な世界が存在しているのだろうと。

暗いお堂に佇立する仏たちも由緒ある古寺の風情も私を魅了し続けた。

私はなぜか「太古」とか「古代」という言葉に弱い。子どもの頃から神話が好きだったせいもあるのかもしれないが、すべての根源が太古の中に隠されているような気がして、今でもうずくような感情に襲われる。

この地は太古につながっているような気がした。

特に阿修羅を見た時は衝撃だった。

仏像ではなく、悲しみを抱えた一人の人間が佇んでいるような気がした。側面の二つの顔は唇をかみしめ、悲しみに耐え、苦難に挑みかかるような強い意志を宿しているように思えた。純粋で崇高な人間に出会ったような強い衝撃だった。興福寺の国宝館は修学旅行生でごった返していたが、私は身動きができなくなり涙ばかりが流れた。

感動と陶酔が私を襲っていたのだろうか。一説によると、阿修羅は両手に月と太陽をのせ、流動する宇宙を仏の形にしているのだという。

そして、はっと気づいて走ったから良かったものの、あと五分ほど気づくのが遅かったらクラスメイトの群れを離れ、迷子になり先生方に多大な迷惑をかけることになったと思う。