イタリア雑記
ローマでバチカン美術館の全貌を初めて観覧した。ラファエロの「アテネの学堂」(大きな絵なのに、とても狭い部屋にある)の構図の巧みさ、「地図のギャラリー」の天井画の華麗さが印象に残った。システィナの「最後の審判」は来年には修復完了だろう。
フィレンツェは三七度の暑さで、現地ガイドの日本中年女性がサンダル履きでペタンペタンとダルそうに案内した。翌日は自由行動なので、ミケランジェロの建造物と彫刻をたっぷり見て満足した。
その日、屋外テラスでの夕食を摂った際、隣のテーブルにギリシャ女性の一団が来て、飲めや歌えの大騒ぎ。そのうち「その男ゾルバ」で見たような、肩を組み合い足で踊るダンスを披露。そのうち一人の美人が、我々にダンスを誘い、日本代表で私がこのヴィーナスの子孫と一曲踊った。しかし、テレくさくて足がもつれた。
ベニスは三年ぶり。今回はサンマルコ寺院をゆっくり見学。パラ・ドーロ(宝石をちりばめた金の衝立)、四頭の青銅の馬など、コンスタンチノープルからの持ち帰り品に感心。ベニスとビザンチン文明との深い関わりを実感した。
ビスコンティの名作映画「ベニスに死す」で有名なリド島を訪ね、小走りに反対側の海水浴場まで往復して来たが、聖マルコ様の御加護か、今回も全く息も切れなかった。
満員の海水浴場では、かつてはトップレスがいたようだが、今回は全然いない。イタリア人ガイドによると、法王庁がうるさくなってね、とのことで思わず苦笑。
ベニスからミラノへの道路沿いには「ロミオとジュリエット」の舞台ベローナとか美しい建築の多いベルガモ、少し南にバイオリンの名産地クレモナや公爵で名高いマントバなどあり、十分車窓を楽しめた。本音は、この街道をゆっくり旅したかった。少なくともコモ湖を見たかった。
この美しいロンバルディアの真ん中で、突然凄い雷雨。これで今までの高温多湿はすっとんで、爽やかなヨーロッパらしい青空になった。ミラノは微風が頬をなぜて、すがすがしい天気になった。
ミラノはまずオペラのスカラ座を見学した。二階席以上は全部ボックス席で赤いビロードが華麗である。ベルディ、プッチーニなどの名曲はここで初演され、世界の音楽界が注目したわけである。ローマではカラカラ浴場跡で名物の「アイーダ」(最近はコストの関係で象が舞台に出ない)を星空の下で鑑賞した。ムードは十分だったが、近頃、対訳のテロップつきで見られるので、この点日本で見た方が有利。
ミラノの大聖堂はさすがに豪壮。しかし内部は鉄筋が横に補強されたりして、やはりゴチック建築の技術は本家フランスが上である。だがおびただしい尖塔やステンドグラスは素晴らしい。
日本への帰航はインド経由の南回りだった。トルコ、イランあたりの荒涼とした見渡す限りの丘陵の連続は凄まじかった。紀元前アレキサンダー大王はここを長途遠征したのだ。どんな気持ちで進軍を行ったのか知らぬが、西の文化は初めて東へ伝えられたのだ。今度の奥の院イタリアへの旅は西洋を知るのに良い旅であった。(一九九三年〈平成五年〉四月記)