小屋の中の男と女
麻衣はこのところ、憂鬱だった。
祖父が
「林太郎と結婚するのを、早く決めよ!」
と言うのである。
林太郎とは、時々逢って話をしているが、結婚となると二の足を踏むのだった。新之助のことも考えないといけないし、それに、そんなに早く結婚はしないつもりなのよ。いえ、今はしたくないのよ。それなのに、祖父は、早く結婚しろ、と言う。
「どうしたらよいのだろう?」
麻衣は自分の部屋で思い煩うのであった。
貝殻を近所の子供たちがくれたので、それを出しては、絵付けをしていた。一つ一つ取り出しては、葵の花を書いて行く。綺麗な赤や桃色や、葉っぱは緑色を塗って行く。鮮やかな貝殻の葵の花が浮き出してくる。
麻衣の考えとは違って、貝殻は正直だった。美しい花びらが、ここにいますよ、と言っているようだった。
ハッとする。まだ葵の花がこんなにある。これを使い切らなくちゃね。まだまだ結婚はしないわ。
麻衣は支度を整えて、林太郎と待ち合わせた橋のたもとに行く。竪川の河岸を一ツ目橋まで歩き、さらに東両国に出て、両国橋を西に渡るところだ。林太郎はもう来ていた。編み笠をかぶり、橋の下をぼんやりと眺めている。
「林太郎さん、待った?」
「あ、いや、わたしも今来たところだ」
「…………」
麻衣は、林太郎がもっと前に来て、じっと待っていたような気がした。だが林太郎は、待っていたのにもかかわらず、今来たところだと言う。そんなところが、林太郎を奥ゆかしく見せているのだった。林太郎を無碍にできないところだった。
「行きましょうか?」
「おう」
林太郎の、返事は明るい。
「今何を見ていたのですか?」
「いや、お恥ずかしい」
「何?」
と麻衣が問うと、林太郎は顔を赤くした。
「いや、目の下を屋形船が通ったのだ。だが御簾がめくってあり、中が丸見えだった。女と男が抱き合っていたのだ……」
そこまで言うと林太郎は赤くなって下を向いた。麻衣は林太郎が可愛くて仕方がないのであった。
「わたしに言うのも、こんなに赤くなって……」
麻衣は、林太郎をやはり好きだと思うのだった。