難攻不落の八上城

長慶様の御成りのあったこの年は、細川晴元のために非業の死を遂げた長慶様の御父三好元長様の二十五回忌にあたり、堺の顕本寺にて千部経が催され、一門衆が集い、七日にわたり千人の僧侶が読経を繰り返すなど、盛大な法要となった。その後、長慶様は大徳寺の子院の南宗庵に大林宗套老師を開基に招き、堺に南宗寺を建立し元長様の菩提を弔った。

将軍のいない京の都と、長慶様と儂の治める摂津国は、〈民草の安寧〉が保たれた戦のない日々が続いていたのであるが、丹波国は相も変わらず戦乱の中にあった。内藤宗勝と名を改めた甚介は、再三にわたり八上城を攻めたが、いずれも波多野勢の激しい抵抗にあい、城を落とすには至らなかった。

八上城を攻め倦む甚介の陣屋を儂は訪れた。

「兄者ぁ、八上城は難攻不落じゃ」

「さすがの甚介も弱音を吐くことがあるのだな」

「どうしたものかのぅ」

甚介はすっかり憔悴しきっていた。

「何故、城が落ちぬと思う」

儂の問いに、甚介は実情を訴えた。

「八上城は孤立しておらぬのよ。この地の西北に勢力を張る赤井一族が儂の後ろで騒ぎおる。喧しゅうて仕方がない」

甚介は眉を顰めた。

ならば、まず「赤井を討つべし」ということになり、儂ら滝山衆と甚介率いる内藤衆は八上城の包囲を解き、篠山川を西へ下り、山南から北上。赤井一族の拠る黒井城のある氷上郡を目指した。当地で赤井一族と対立している芦田氏、足立氏などの国衆も合流し、黒井城から二里と離れていない香良村岩瀧寺を本陣とし、陣を敷いた。

香良村は東に峻険な鷹取山を背負い、西に口を広げた谷戸で、村全体が天然の要害となっていた。床に広げた絵地図を睨みながら、儂は腕組みした。

「さぁて、どう攻めるか」

着陣早々に諸将を集め、軍議を開いた。

「辺りの地形に詳しい芦田殿に何か策はござろうか」

「まずは松永弾正忠様自ら、このような片田舎までご遠来くださり、忝のうござる」

儂らを労い、芦田は言葉を続けた。

「赤井が籠る黒井城は、天を見上げるほどの山上にあって、攻めるに堅く守るに安い城でござる。時はかかりますが、向城、付城を築き、兵糧攻めにいたすが宜しかろうと存ずる」

「芦田殿が言われる通り、黒井城は堅うござる。それゆえ我らは、安易に攻め寄せることも叶わず、長年にわたり争い続けておる次第。明日にでもご視察なされて、そのうえで改めて軍議されてはいかがか」

足立も言葉を添えた。

「それでは……」と散会し、それぞれの持ち場で朝を待つことにした。