目標までの時間に耐える
その「目標」にたどり着くまでの時間は誰にとってもとても長いのだろう。ときに目標を見失ったり、あきらめたりしてしまいかねないほど長く辛い時間。
その目標にたどり着くまでの時間を「待て」とデュマは言うのだ。時間を耐えよ、と言っているのだ。
「時間に耐える」ということは、ただ「我慢する」ということとは違うのがわかるのは、デュマの言葉が「そして希望せよ」と続くからだ。
自分の願う未来に望みをかけ、決して諦めない強い思いがそこにはある。
時間をただ我慢するのだとしたら、人は生きていくのがとても辛いだろう。だが、そこに「希望」があるとき、人生の色合いはまったくちがったものになる。「希望をもって時間に耐えよ」と教えてくれたこの言葉は、人生の前進を後押ししてくれた大切な私の魔法のお呪いだったのである。
この言葉を思うとき、私が真っ先に思い出す人物は徳川家康である。
「人の一生は重い荷を背負うて、遠い道を行くがごとし」という言葉を遺した家康の生涯こそ、長い、長い時間に耐えた典型だろうと思う。
少年時代を織田家、今川家の人質として過ごすことから始まる人生は、織田信長に、豊臣秀吉に先を越され、何度も天下に挑戦しても実らず、力あるがゆえに不利な転封を強いられ、ただひたすらに自分の出番を待つ人生だった。だが、その間家康は力を蓄え、健康に留意し、知恵を結集し、権力の座に就いた時の準備を怠らずに、じっと待った。その彼の「待つ時間」を耐えさせたのは「希望」だったはずだ。
徳川家康の馬印にある「厭離穢土欣求浄土」の理想こそ、家康の目標であり希望だったのだろうと思う。その実現のためにはどうしても権力の座に就く必要があったのだ。
長い戦乱の続くこの国に、民百姓が安心して暮らせる平安な世「浄土」を創りたいという強い願望がこの馬印にはある。自らの願う思い、それこそ強い希望だったはずだ。その実現を成し遂げるまでが、天に与えられた家康の人生の大目標だったにちがいない。
それが明確だからこそ家康は長い時間に耐えられたのだろうと思う。