人生を支えてくれた知恵の言葉
簡潔ながら力強いこの知恵の言葉は、デュマの大作『モンテ・クリスト伯』(『巌窟王』)の最後の一行である。
子供の頃、母が買ってくれた少年少女向けの『巌窟王』は勧善懲悪の、冒険物語のような気持ちで面白く読んだ記憶がある。だが成長してから、本格的な翻訳で『モンテ・クリスト伯』を読む頃には、この物語が単に勧善懲悪の冒険物語とはとても思えなかった。
ワクワクしながら、しかし、これほどの長い時間をかけて復讐を遂げるという恨みの思いにはなんだか納得できないものも残った。
だが物語の展開の面白さにやはりワクワクしながら読み進んだ記憶がある。そして物語がいよいよ大団円を迎えて終わりとなった、その最後の最後にこの短い一行の言葉があった。
「待て、而して、希望せよ」
この一行にたどり着いたとき、私はガ~ンと頭を殴られるような衝撃を感じた。そして、デュマは最後のこの一行を書くためにこの大部の小説を書いたのではないかと思った。それほどの渾身の一行。すごい知恵の言葉だと感じた。
たった一回しか読み通していないので、偉そうなことは言えないが、デュマはもしかして「復讐」を書きたいのでなく、人間の生き方の大切な姿勢─どんな苦境にあろうとも、艱難辛苦のなかでも、最後まで希望を失わずに、長い時間を耐えよ、という大知恵を教えたかったのではなかろうか。
人生の大半の時間を終わり、どう終焉へ向かったらいいのかを考えるいまになって、デュマのこの言葉の持つ真実の価値がより一層感じられるのである。
すべての人の人生にはその人なりの目標があるのだろうと思う。その目標が大きかろうが、小さかろうが、あるいはそれを本人が意識しているかどうかは別にして、人には生まれながらにひとりひとりに与えられた向かうべき方向や目標が設定されているような気がする。
それを使命というのかもしれないと思う。そうでなければ、私がいま、自分では想像したこともなかったこの地点にいるわけがない。