春の小布施

四月下旬信州に帰省し、中学時代の友人と小布施に行った。千曲川の河川敷には菜の花畑と桃畑が続き、黄色の帯の向こうがピンク色で、所々に芽吹きのやわらかな緑が色を添えていた。手前には八重桜が咲き誇り、遠近感と色のハーモニーが美しい。これは文ではとても書き表せない。

私に絵が描けたらいいなと思う。

文は言葉で書かなければならない。この千曲川の風景を、もっと言葉の力のある人が書いたとする。それでも、想像される河川敷は、読む人によって違うだろうと思う。

一つの言葉に対するイメージが、人それぞれ違うのだから。言葉は発する側の事情と、受け取る側の事情でずいぶん変わってしまう。

言葉は発した人にしか真実はわからない。いや、時によっては受け手の方が真実を読み取ることがある。なんて言っていると、人生問答のドツボに、はまってしまいそうだけれど。

小布施の駅のホームから北信五岳が並んで見えた。向かって左から(いい)(づな)、戸隠、黒姫、妙高、斑尾である。戸隠と妙高はまだ雪をかぶって真っ白だ。飯縄は粉砂糖を振りかけたように雪が残り、黒姫は山ひだにそって白く筋が残っている。実家からは飯縄山しか見えない。私たちは五岳を指さし、名前を何度も確認しては「きれいだね」と眺めていた。

外国人の男性がにこやかに「マウント富士?」と妙高を指して私に訊ねた。「ノー、妙高」と答え、ついでに端から指さして飯縄、戸隠……と名前を伝えた。友人は「妙高の高い方の峰が、富士山に見えたのかしら」と言う。「山の名前を知りたいけれど、言葉が通じないと思って、わざと富士山の名を出したんじゃないのかな」と私も思いついたことを言ってみた。

何が正しいかなんて彼にしかわからない。でも、楽しげに山を見ていたから、きれいだとは思ってくれたのだろう。もしかしたら山の名を繰り返すおばさんたちの様子がおかしくて、からかい半分に言ったのかもしれないけれど。

春の小布施は本当に美しかったのである。