お花市の宵に
墓参りのため、八月十二日に長野に帰省した。宿に着いてから、盆花を買いに出た。ついでに近かったので、卒業した女子高も四十七年ぶりに訪れてみた。
校舎は木造からコンクリートに変わっていた。昇降口が昔と同じところにあった。あの頃遅刻がちで、何度戸を閉められて、裏口に回ったことだろう。
行ってみたいところがあった。私の担任は家庭科の先生で、ホームルームは家庭科室だった。廊下の西の突きあたりにあって、窓の外にすぐ細い道路が見えた。山に登るその道の向こうはリンゴ畑で、五月には白い花をつけた。下地は草に覆われ一面の緑で、大きなタンポポがたくさん咲いていた。緑と黄色と白のコントラストが鮮やかで、白い花の中にかすかにピンクが浮かんでいた。授業などはそっちのけで、私はそのきれいな景色に見入っていた。あのリンゴ畑が今はどうなっているのか、見たかった。
なかった。リンゴ畑なんてなかった。すっかり住宅街になって、一戸建ての家が並んでいた。四十年以上過ぎているのだもの、当たり前である。それでも、もう一度見たい景色だった。高校時代への郷愁に、ぴたりと終止符が打たれた気がした。
高校正門から南に坂を下り、東側の住宅街を抜けると、十分足らずで善光寺に出る。
お盆を前にして、いつもより参拝客が多いようであった。今、働き盛りで、忙しい暮らしをしている娘夫婦の健康を願って、手を合わせた。
お参りをしてから長野駅へ下る中央通りに出た。信州では迎え盆の前日、十二日夕刻から、この中央通りで盆花を売るお花市が開かれる。花以外にも農作物、仏具、氷水、あるいはかんばなど、いろいろなものが夜店に並ぶ。かんばというのは白樺やダケカンバの木の皮を干したもので、信州ではこれで迎え火や送り火を焚く。懐かしさに心を躍らせて、歩きだした。
通りは歩行者天国になっていて、車道いっぱいに太鼓が並び、力強い音を響かせている。昔は夜店だけだったけれど、今はこんな出しものもあるようだ。太鼓の見物客が途絶えた辺りから、夜店がぽつぽつ並んでいた。
子どもの頃家族で来たお花市は、もっとにぎやかだった気がする。幼い私の目線の先には、戸板に山積みにされた切り花や、野菜や、果物が並んでいて、楽しい興奮だった。売り手のおじさんの大きな声や、歩いている人たちのざわつきも、私を取り囲むようにふんわりと浮かんでくる。珍しかったまくわ瓜を買ってもらったことも思い出した。
「お花いかがですか」
という女の子の声に、足を止めた。真っ黒に日焼けした少女が笑っていた。「毎日学校のプールに行っています」。そんな感じの女の子である。花は小さな束に括られ、バケツの水につけられていた。
「これね」
と、選んだ束を二つ渡しながら尋ねた。
「何年生?」
「四年生です」
「偉いのね、お手伝いしているんだ」
彼女はくすぐったそうに笑った。お母さんがおつりを出しながら、
「好きなんですよ、こういうことが」
と、こちらもにこにこしながら言った。少女は素早く花を新聞紙にくるくるっと包んで渡してくれた。
「ありがとう」
受け取って、ゆっくり歩きだした。
昔のような大声のおじさんはいなかったけれど、かわいい笑顔に出会ったお花市だった。
この少女も花を売った日を、いつか懐かしく思い出すことだろう。