思い出す長野駅

小学生の頃、よく中耳炎を起こして鉄道病院へ一人で通った。一九五〇年代のことである。

この病院は国鉄職員とその家族だけが利用する。長野駅の東口に国鉄長野工場と物資部があり、少し離れて鉄道病院があった。

国鉄長野駅善光寺口の改札で「鉄道病院へ行くので通して下さい」と言う。五番線くらいあったホームを抜けても、黒い油を塗ったような板の跨線橋が続く。引き込み線が何本もあった。東口に出る。「鉄道病院へ行きます」。駅員さんは頷いて通してくれる。

改札を出ると、道なき道である。東口ができたのは一九五〇年というから開発途上だったのだろう。田んぼを埋め立てたらしく、大きな薄茶色の石がごろごろしている。

そこを過ぎると道に出て病院に着く。

荒れ地を歩きながら幼い私は一生懸命に唱える。自分に言い聞かせる。「今日は痛いよ、今日は痛いよ」と。

自分の意識の中で「思ったことと反対のことが起きる」と思うことがよくあった。

だから痛いと思って行けば痛くないんじゃないかと、小さな頭で考えたのである。結果はどうだったか定かではないが、痛いんだぞと思い込もうとしていた気持ちと、そのとき見つめていた荒れ地の薄茶色の地面を思い出す。

善光寺の形を模した駅舎が一九九六年四角い橋上型駅舎となり、翌年長野新幹線が開通。そしてその翌年長野オリンピックがあった。新幹線の改札を出ると広い東西通路がある。右に行けば在来線の改札があり、善光寺口のロータリーとなる。左に行けば東口。帰省した私を姉が駐車場で待っていた。きれいなビル街になって、鉄道病院は跡形もない。黒い跨線橋は明るい東西通路に変わり、ホームのない引き込み線は新幹線に変わった。

善光寺口に立って駅舎を見上げる。何本もの太い木製の柱が並び、提灯が飾られている。仏都らしい演出がされているが、昔の屋根の形が懐かしい。ロータリーには如是姫像が善光寺に向かって香花をささげて立っている。以前はロータリーの中心にあったが、今では少しずれて、端の方に寄っている。「如是姫なんて、今あったかしら?」と姉はのんきに言う。

昔の駅舎にあった右から書かれた「長野驛」という額はまだ待合室に飾られていた。