秋の始まりの中で

九月下旬、軽井沢へ遊びに行った。中学時代の友人真美と二人、還暦も過ぎて、久々のお出かけである。

一泊二日の予定の両日とも、天気予報は雨だった。雨女の私としては納得だが、彼女は、

「私は晴れ女よ。どんな天気予報でも雨なんか降ったことがないわ」

と、のたまう。

私は東京から、真美は長野から、軽井沢駅で待ち合わせてホテルに向かった。ありがたいことに雨はまだ落ちていない。途中でお昼を食べようと蕎麦屋に入った。

久しぶりのおしゃべりに夢中になっていると、蕎麦が運ばれてきて、一瞬口をつぐんだ。と、雨の音がする!

「あらっ」

真美が窓を開けた。激しい雨が降っていた。

「ああ、やっぱり……」

天気予報は当たった。

「晴れ女、頑張ってくれなきゃ!」

「うーん、こんなはずはないんだけれど……」

食べ終わって外に出ると、ちょうど雨は上がった。晴れ女の面目躍如である。

左に桜並木、右にドウダンツツジの間の小道を行く。左右それぞれ紅葉が始まっている。ドウダンツツジはもうすぐ、もっと鮮やかに紅くなるだろう。桜は色づきかけた葉が時折、目の前を舞っていく。カリッとした軽い固いものが頬に当たった。一瞬受け止めようとした手が、間にあわなかった。半分紅くなった木の葉が、そのままひらひらと下に落ちた。今日は気温十六度。ひどく暑かった夏から一転、秋は駆け足でやってきた。

翌朝は雲間から青空が覗き「晴れ女、ただ今努力中」という空模様である。ホテルの前からバスで旧碓氷峠見晴台へ向かう。雲が風に流され、青空が広がってきた。

群馬県と長野県の県境にある見晴台は視界良好、山なみがくっきりと姿を見せる。この幾重にも連なった山々の景色が好きである。目の前、左に妙義山。緑深い奇妙な山の形が名前を納得させる。右に目を転ずると、八ヶ岳。あの山の裾野を歩いたことがある。その向こうに、富士山が小さく見えた。案内板の山の名前と位置を確認しながら、山なみを追う。残念なことに一番近い浅間山だけが、雲がかかって裾野しか見えない。

山々をカメラに収めながら、信越本線はどの辺を通っていたのだろうかと思った。

昔、特急あさま号で何度も通ったはずのこの碓氷峠。離婚をし、職場でも躓いていた私は、幾つものトンネルを抜けて東京に帰って行くとき、いつも自分の弱さと戦っていた。

信越本線が最後にここを通ったのは、一九九七年九月三〇日である。あさま号がEF六三という機関車に後押しされて、登って行く姿をテレビで映していた。感傷的な気分でそれを見た。

それから十六年の年月が経ち、会社も退職し、今日、碓氷峠の上に立った。青空も、山々も美しい。変らずに続く気がしたものも、いつかは終わり、変わっていくのである。

長野県・群馬県という県境の標識を前に空を見上げた。色づき始めた木々と青空が呼応して、私を和やかにする。てっぺんが紅くなってきた木と、全体に黄色みが増した木と、秋の始まりの静かな二重唱である。

店の半分が群馬県、半分が長野県という茶店に入った。寒いので温かい甘酒を頼んだ。

「私ってすごい晴れ女でしょ」

真美が得意げに言う。

「うん、拍手喝采だよ」

甘酒がおいしい。