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第二章 原点への回帰
第一節 故郷
父の実家は大川沿いの土手と田圃に囲まれた農家だった。私はその牛小屋と棟続きの離れで生まれ、三歳までそこで育った。その部屋の明り取りの窓辺には毎年、朝顔の蔓が伸びてきて、青紫と赤紫の花をつけた。赤子の私はその色鮮やかな朝顔の花を見ていたような気がする。
母方の祖父は何かと用事を拵えて、生まれたばかりの私を見に来たという。祖父は汗疹だらけになった私を哀れみ、母はそれを治そうとして毎晩、盥に硫黄華の湯を容れて、そこに私を泳がせたという。それは黄色い水の中をたゆとう夢のように朧な記憶として残っている。
そして、時を置いて、朝まだきの静寂の中をカシャ、カシャと牛乳配達の自転車が、砂利道を通り過ぎていく音を聞いていた。その頃から断片的な記憶が現われては消えていく。小川を泳ぐメダカの群れ、夜の川面を飛びかうホタルの群れ、そして、ほこらの周りに咲き乱れる彼岸花、……と。
やがて、母は幼い私の手を引いて、母の実家に里帰りを繰くり返すようになった。かつては三十町歩の地主だったという母の実家は、亡き曽祖父の代に私財を擲った土木工事で没落し、村長だった祖父もすでに隠居して、淡々と栄枯の移ろいを眺めていた。