納豆ごはん

小学校五年生のときのこと。単身赴任の担任の先生が、我が家の近くに住んでおられた。先生は、学校か、自分のアパートの近くの生徒の家に夕刻においでになって、私たちと一緒に食事をされることがあった。私にとってはうれしいことだった。

母方の祖母が亡くなったときだと思う。両親と姉は母の実家に駆けつけた。行く前に母は私に言った。

「光信と二人で留守番をして、納豆でご飯を食べておきなさい」

ねぎをみじん切りにして、卵と醤油を入れて納豆を作り、弟と早目の夕飯を済ませた。いつもの我が家の納豆である。お醤油が少し多かった気がした。片づけた頃、「今晩は」と声がした。

「あっ、先生だ!」

玄関に飛び出し、腕を取らんばかりに上がってもらった。

「先生、お母ちゃんがいないから、今日は納豆ご飯だけど、いい?」

座った先生に聞いてみた。

「いいよ」と言ってくれたので、もう一度急いで納豆を作った。さっきお醤油が多すぎた気がしたので、今度は入れすぎないように少しずつ入れて、気をつけたつもりである。

「お醤油足りないかな、入れすぎたかな」と、ドキドキしながら先生のところへ持っていった。快活でよくしゃべる先生が、元気がなく見えた。下を向いて食べていた先生にそうっと聞いてみた。

「お醤油、足りない?」

「ううん、大丈夫、おいしいよ」

そう言ってくれたのでほっとした。いつもはゆっくりお茶を飲んでいく先生が、じきに帰られた。私は片づけながら、やっぱりお醤油が足りなかったんじゃないかなとまた気になっていた。先生が大好きだったから、おいしい納豆ご飯をごちそうしたかったのに。慌てないで作ればよかった、味見をすればよかったと後悔した。

六十代半ばを過ぎて一人分の納豆をかきまぜながら、ふっとあのときの先生を思い出す。あの頃先生は四十代。今なら私の子どもの年頃である。

「子どもだけのところに来てしまって、いたたまれなかったのでしょうけれど、もっとおいしそうに笑って食べなきゃだめよ。私は精いっぱいおいしく作って差し上げたかったのよ」

天国の先生に言ってみた。