減らず口

子どもの頃、長野駅近辺の繁華街に行くことを、住んでいた地域では「長野に行く」と言った。長野市内、それも旧市内に住んでいたのだが。母が「長野に行く」と言う度に「ここだって長野じゃん」と私は減らず口をたたいていた。母は「何言ってるんだ」と取り合わなかったが。

長野に買い物に行くと、最後に必ずスーパー魚力に寄った。善光寺から長野駅に下る中央通りの、駅近にできた大きなスーパーマーケットである。

母は夏の暑い日にも肉や魚を平気で大量に買い込み、魚力前のバス停で二十分間隔のバスを待ち、二十分乗り、降りて十分ほど歩いて帰ってくる。「あー、疲れた」と言いながらワンドアの冷蔵庫を開け、食料をしまっていった。それまでは御用聞きをしてくれる魚屋と、よろず屋で買い物をしていたのである。一九五〇年代、急激に生活が変わった頃であった。

その頃我が家には風呂があり、私はたまに銭湯に行くと、楽しくてはしゃいでいた。小学校三年くらいだったと思う。銭湯に行ったら、クラスの人気者孝雄ちゃんが、お母さんと妹と一緒に脱衣室にいた。「あーっ、孝雄ちゃん男なのに、女湯にいる!」

珍しく孝雄ちゃんは何も言わず、黙ったままだった。

五十年後、同級会で言われた。

「佐東さんに女湯にいるって言われて、ショックだったよ。うちに帰って母ちゃんに『絶対に女湯は嫌だ』って言ったんだ」

「ごめんねー。ひどいこと言ったねえ」

どんなに少年の心を傷つけたことだろう。同級会というのは懐かしくおしゃべりするうちに、昔、しでかした悪さがふっとこぼれ出る……。私はどれほどの減らず口をたたいていたことだろう。六年生まで同じクラスで、よくおしゃべりする仲間だったのに。それでもあの一件は同級会まで、彼は口にできなかったのだ。

男の子って繊細なのねと、自分の意地悪を棚に上げて思う。女湯で何も言い返せなかった、あの少年がかわいい。