若干、ひねくれた物言いをしてしまってすみませんでした。私の述べた、先の"幸福感"だとか、"自分に合ったやり方"だとか、"意味付け"だとか、そんなことも、言われてみればすべて当たり前です。

本は、いかに多くのことを学ぶかではなく、いかに多くのことを気付かせてくれるか、あるいは再認識させてくれるかというツールだったのです。

出会うべくして出会った本が私に示してくれた現実は、新情報というよりも、すでに心にあったにもかかわらず、見過ごしていた何かであることが多かったのです。

まとめ

社会人になってから本格的に読むようになり、人生の中盤を迎えるあたりから尻上がりに本の魅力に気付きました。

まだまだ読書家と言うにはほど遠い人間だからこそ、いまさらながらの見識というようなものについて語りたいと考えています。

その一方で、この年になって、いまさら本に取りつかれているような振る舞いを悟られるのも恥ずかしい。

文学を語る資格はないということを十分理解したうえで、それでも自分が何を伝えられるのか、そのあたりを明らかにしていくために、私はここで「本の意味」を再考したのかもしれません。

ひとつ言えることは、大袈裟かもしれませんが、「そうしたことを考える苦しいけれど、その一方で快いとも感じられる妙な心持ちが、私にとってまさに生きていることと同意である」と言う他に、いまのところ説明のしようがありません。