読書体験を変えるたったひと手間
第一章では「なぜ本を読むのか?本の意味」というテーマで、読書遍歴を交えて私の読書観について論じました。本をたくさん読まれる人が、仮にここまで読んでくれたとしたら、私の偏った考えにずいぶん苛立ちを覚えたのではないでしょうか。読まない(読めない)屁理屈をただこねくり回しただけという印象を与えてしまったような気がします。
そんな批判に対して、「本や文章に興味のない人の気持ちに立って、そういう人をいかに取り込むかという観点で書いた」と言い訳したところで、その割には読書のネガティブな点を論い、逆に読むハードルを上げてしまっているという、なんとも中途半端な内容になってしまいました。
ただ、ひとつ言わせていただけるなら、読書に対して良いも悪いも関係なく、否応なしに読書離れと言われている時代に突入している現状を踏まえると、少しでも真実を捉えていかなければという、そういう危機感に対する逆説的な気持ちが、私に、まずは本のネガティブな部分を書かせたとご理解いただければありがたいです。
しかしながら、このままの流れにしておいて、途中でページを閉じられても困ります。そこで本章では、どうやって本を読めばいいのかについて、これまた個人的な見解ではありますが、実践的なお話をしたいと思います。もう少しだけお付き合いただければありがたいです。
書くためには読む能力が必要か? もう一度、本書の位置付けについて確認するところから話をはじめたいと思います。前著『〈ものを書く〉ことについて考える』では、書くことについて、私がこれまでに得た知見をお伝えしました。
しかし冷静に考えてみると、“書く”ことの前に、“読む”という行為があります。偉そうなことを言うようですが、まずしっかり“読める”前提があってこそ、しっかり“書ける”気がします。書くという運動能力を高めるには、読むという基礎体力作りから始めることが重要です。読む習慣のない人がいきなりエッセイに挑戦するのは、体力のない人がフルマラソンを走るようなものです。
実際、「何を書こうか?」よりは、「何を読もうか?」の方が圧倒的に負担は小さいと考えます。ちなみに、「何を読もうか?」で悩むとすれば、それは、読後に読書感想文を書かなければならないときです。やはり書く前提がありますと、読む障壁も上がります。そのためにも、書くこと以前に、まずは読むことについて考察すべきだったと思っています。