少しゆとりのある環境を作ってみる 本に手が伸びるシチュエーションは?
もうひとつ、本を読む環境を作るという方法もお薦めです。本を読んでいるシチュエーションをイメージしてみてください。
私が真っ先に思い浮かべる様子は、図書館の机でじっくり本と向き合っている姿でも、自室にこもって姿勢正しく読みふけっている姿でも、電車や新幹線のなかでところ狭しと活字を追っている姿でも、医局のデスクで昼ご飯をかっ込みながら片手でページをめくっている姿でもありません。
南の島の太陽のもと、パラソルの陰でハンモックに揺られ、ビールを片手に惰眠をむさぼりながら、ときに小説に手を伸ばしつつ、心ゆくまでのんびりと、時を忘れて気の向くままに、空空寂々の意識のなかで、ただ活字を眺めているというものです。本のタイトルは、もちろんパトリシア・ハイスミスの『太陽がいっぱい』です。
要するに、「することがないから、仕方なく本でも読んで時間を潰すか」というシチュエーションです。可能かどうかは別として、一週間以上の一人旅を決行し、電子書籍でなく小説五冊くらいをカバンに詰め込んで地方に出てみてください。必ず読もうという気になります。さらには、土地の情景を、読了した本の感想に交えてSNSに挙げるというのが粋いきです。
私の場合、二〇年前のことになりますが、スコットランドのグラスゴー大学に研究留学していた二年半の間に大量の本を読み、読書の習慣化を完全に定着させることができました。『Harry Potter and the Philosopher’s Stone(ハリー・ポッターと賢者の石)』を現地で買い、著者のJ・K・ローリングさんが通い詰めながら執筆していたエディンバラのカフェ『The Elephant House(エレファント・ハウス)』でそれを読むという経験をしました。そういう優雅で少しゆとりを持った期間に、読書は習慣化されるのです。
見栄を張ってみる 「知的」を演出する道具としての読書
そしてもうひとつ、読書のきっかけとして大切なのは、「知的に見られたい」という見栄と欲求です。
以前にも述べたように、これまた若い頃の話ですが、女性に本をプレゼントしたことがあります。自分勝手な行動かもしれませんが、そのとき大切なのは、相手に読んでほしいということではありません。自分は、こういう本を読んでいるという自己アピールです。「書物そのものは、君に幸福をもたらすわけではない。ただ書物は、君が君自身の中へ帰るのを助けてくれる」という名言を残したヘルマン・ヘッセの本を贈ることで、私は自分に酔っていました。『車輪の下』は、将来を嘱望された青年が、勉学一筋に生きてきた自らの生き方に疑問を抱き、転落していくストーリーで、私は、主人公の挫折感漂う暗い陰鬱とした自暴自棄を格好いいと思っていました―本の内容はまったく面白くありませんでした。
さらに、こうも思っています。本を読んでいないと、飲み会での話題は職場や家族など身の回りの出来事か、テレビや雑誌のゴシップに限定されてしまいます。それが悪いとは言いませんが、はっきり言ってつまらない会話です。
話題性、トーク回し、オチなどの冴さえている人の話は本当に面白いと感じますし、その人を中心におしゃべりが弾みます。巧みな話術の王道は、何と言っても共通の話題性です。初対面でも話を合わせることのうまい人は、豊富なネタを提供できたり、対話に付いていける幅広い知性を有していたりします。同じ出来事やゴシップを語るにしても、目の付けどころが違っていて深みがあります。そのための情報源は、テレビでなく本であることが多いと感じます。