虎谷屋の怪
麻衣は考えを変えた。本当は新之助と、二人で虎谷屋に忍び込みたかった。だが、今の新之助を見る限り、二人で息の合ったところを見せるのは、無理のようだと思った。
「今回は、一人だ!」
その晩麻衣は、忍びの衣装に身を包んだ。顔の両側に、桃色の幅広の布を垂れさせている。腰には貝殻を入れた籠をつっている。すべてがぴったりの衣装だ。
足早に、虎谷屋の軒下に潜る。そのままの姿勢でじっとしている。かれこれ四ツ半(午後十一時)になった。周りは寝静まっている。そろそろ麻衣は動き始める。塀の向こう側にすとんと落ちる。植込みが沢山ある。大体金持ちの家はこういう植込みがあるのだ。その点は進みやすい。
廊下に出た。向こうに灯りが見える。
「ふむ、起きているのだな」
麻衣はその灯りの方に進む。話し声が聞こえる。
「この前は失敗したな。今日はちゃんとしてくれよ」
という、しゃがれ声が聞こえる。
「はい、今日はきちんとしまっさぁ」
と威勢のいい、若い声がする。
「今日は、これからだな」
「はい、今から行きます」
若い声はそう言って、ふすまをすーと開けた。麻衣は少し離れたところで、しゃがんでいた。
若い男は、するするとこちらに進んでくる。この男が盗人なのだった。麻衣は男を迎えた。
「ふん、あんた盗人なんだね」
鉢合わせした麻衣は、言った。
「お、お前は……?」
「わたしは、紅葵さ!」
「お、お、お前が、か?」
「何だい、お前さん、震えているね」
麻衣はふふふと笑った。
向こうの泥棒は、立ちすくんでいるようだ。つばを飲み込んでいる。
「何だい、へなちょこ!」
まだ泥棒は初心者かな。麻衣はそう思った。
「どこへ行くんだい」
泥棒は立ち直った。
「お前に言うことじゃない」
「へ、そうかい。ならここは行かせないよ」
と腰の貝をさっと握った。
「何だい、それは……」
「さ、なんでしょうね」
麻衣はじっと若者の泥棒を見つめた。その迫力に、泥棒が負けた。
「ごめんよ、案内する」
泥棒は、同じ泥棒だ。後でわからないようにと踏んだようだ。
たったと案内する。蔵に来た。その蔵の鍵も持っている。そして、その鍵をわざと落とした。
「何で落とすのよ」
麻衣は鍵を拾った。
「あ、いけねえや。その鍵は落とすんだよ」
「何で……?」
「泥棒が入ったという、証さ」
「そんなもの落とさなくても、わかるだろ」
「いや、わからん。とにかく落としておくよ」
と言って、奥に入る。千両箱がある。一つを肩に担ぐ。もう一つは麻衣が担ぐ。
「じゃ、あばよ」
男は消えた。麻衣は千両箱が重いので、その中から、一つまみ出して懐に入れた。
「何なの、あれは……」
そう思い、裏長屋に行って少しずつばらまいて行った。長屋では、相変わらずみんな喜んでいる。
空には、星がたくさん瞬いていた。
貝殻のような星だよ。それも葵の貝殻!