虎谷屋の怪
家に帰ると、自分の部屋に貝殻を隠し、着物を着替える。幸い祖父はいない。じっくりと、調べることができる。
先ず新之助に逢わなくては……。
外に出る。誰も麻衣が出たことに、気づく者はいなかった。いつもの料理茶屋に入る。
「あら、今日はお休みでなかったの」
「ええ、でも用事があるから出てきたのよ」
麻衣はおかみに言う。
「そ、ならいいわ。ちょうど、麻衣さんに用事があるのよ」
と意味ありげに言う。
「何?」
「ふふふ。お楽しみ!」
おかみはそう言うと、奥に引っ込んでいった。麻衣はいつものように、お酒とおつまみを入れたお盆を持って、いつもの座敷に入る。
「おいでなさいまし、今から入ります」
麻衣が、ふすまを開けて入って行くと、新之助の友達がにやにやして待っていた。
「あら、あなたたち、来ていたの?」
周りを眺めたが、新之助はいない。
「新之助さんは、今日はお休み?」
「いいや……」
一人がにやけた顔で言う。
「どうしたの?」
「あんたがいないから、彼は浮気をしているのだ」
と言う。
「え、どこ?」
「さて、どこでしょう?」
「もう、はぐらかさないでよ」
三人は只、にやにやを繰り返してそこに座っている。その時、ふすまが突然開いて、人がなだれ込んできた。どどどーと足が入り組んで、二人の男女がもつれるようにして倒れてきた。見ると新之助だ。もう一人は女で、麻衣が初めて見る顔だった。
「あら、新之助さん、お目当ての人が来ているじゃないの?」
「おう」
「ま、酔っちゃって……」
新之助は疲れたように、すとんと落ちた。
麻衣は女の人を見た。顔は可愛くつぶらな目線が優しい。
「ありがとう、そこに寝かせるわ」
と言い、麻衣は尋ねた。
「あなたは誰?」
女の人は笑って、麻衣を見ている。
「あなたが麻衣さんね。新之助さんがうわごとに言っていましたよ」
新之助を布団に寝かせると、女の人は座って麻衣に語り出した。
「新之助さんは、毎日ここに来ていました。そしてわたしを呼び、麻衣さんの居所を聞くのです。わたしは、三日前にこの料理茶屋に入りました。あなたのことは何も知りません。それで、新之助さんの言うことを聞いて上げていたのです。名前は、千代ともうします」
「千代さん、ありがとう。もういいわ。後はわたしたちに任せてちょうだい」
麻衣はにっこりすると、千代に礼を言った。
何だか私、新之助の奥さんみたい!
「なんて人でしょう。ちょっとわたしがいないと、こんな状態だもの」
麻衣は新之助の寝顔を見た。可愛い寝顔だ。ぼっと顔が赤らむのを感じた。嫌だな、私としたことが……。慌てて頭を振る。
「あなたたち、どうして、新之助を見て上げないの?」
「麻衣さんがいないと、ふてくされてどうしようもないのだ」
「いや、わたしは、新之助を保護しようとした、だが、奴は外に出て行くのだ」
「わたしは新之助と遊びたかった。だが、新之助はその千代さんを見るとついて行ってしまったのだ」
三人三様の言い分でらちがあかない。
「本当に、いいお友だちだわ!」
麻衣は新之助を見ながら、三人の顔を見て、ホッと溜息を吐いた。
新之助は、しばらくすると起きてきた。
「俺はどうしようもない男だ!」
と言い、目を伏せる。麻衣に合わせる顔がない。
麻衣が入ってきた。
「新之助さん、どう、具合は……?」
「や、すまない。ちょっと腹を壊してね」
「そう……」
麻衣は心配そうに、新之助を見る。
新之助は、何ともないように、ただ嬉しくて、麻衣がいるだけで、よかったのだった。
「や、もう治った」
麻衣は、いぶかしげに新之助を見る。
「治るの、早いのね」
「おう」
新之助は、麻衣の肩に両手をあてた。引き寄せる。ぐっと引き寄せる。麻衣の顔が新之助の下に来る。じっと見て近づける。
「何をするの?」
麻衣はとっさに新之助の顔を手で払った。
新之助は、笑いながら「や、こんにちは」と言う。
「今日は、何もすることがないの?」
「いや、これから、道場に行ってくる」
「そ、気を付けて……」
新之助たちは、ぞろぞろと出て行った。
「風雲流とか言っていたわね」
麻衣は、自分も支度をして外に出るのだった。