ゆっくり歩いて行こう
みんなで荷物を分担して、練習後は徒歩で学校に戻った。
「この部室、何とかしない?」
用具を雑然とした部室に戻しながら、佑子がそう言っても、足立くんが苦笑を浮かべるだけだ。一年生たちは消耗しきっていて表情もない。
「ミーティングして、今日はあがろうか」
足立くんの声で、六人が部室の前で輪になる。佑子は海老沼さんと一緒に足立くんの背後に立った。全員が一言ずつ、と感想を求められて、みんなが訥々と、本当に一言だけ感想を、とりあえず前向きではある感想を口にするだけだったが、その最後になった石宮くんは、しばしの沈黙の後、深いため息をもらした。
「コワかった、です」
あまりに正直な感想。だけど。
「コワくて、なんにも、できなかった」
練習の最後は、上級生が相手になってくれてのタックル練習だった。もちろん相当に強度を落として、ソフトな形での練習だったのだが、意を決して向かって行っても、彼はタックルの寸前で立ち止まってしまっていた。
砂浜での青ざめた顔が再現されて、例えば開き直ったような西崎くんと違って、石宮くんは一歩が踏み出せない。
「ケータ。誰だってコワいんだ。慣れていこう」
足立くんは肩を落とす石宮くんに、それでも励ましの声を忘れない。
「いいキャプテンに、なるよね」
佑子が傍らの海老沼さんにささやくと、そう、もちろん足立くんの耳にも届くことを意識してだが、海老沼さんも柔らかく微笑む。口元にのぞく八重歯と、右頬のえくぼ。初夏の日差しの中の、キュートな眼差し。
みんなが散開して、職員室に向かおうとした佑子の傍に、石宮くんがそっと寄って来た。自信なげな、丸まった背中。彼がラグビー部に来てくれる前の、日常での教室の姿を、佑子は知っている。
授業が始まる直前まで、石宮くんはクラスメートの真ん中にいて、常に笑顔の、ジョークを飛ばしたりするキャラクターなのだ。多分、ラグビー部の仲間以外は、ケータはお茶目なやつとしか思っていないだろう。
「先生、オレ、ダメかも」
少し前、西崎くんは、前田くんのスピードに打ちのめされて海に飛び込んだ。そんな風にブチ切れたりすることさえできずに、石宮くんは自分の弱さばかり見ている。
佑子が促すと、体育館横のボロボロのベンチに腰を下ろす。隣に寄り添いながら、何から話そうか、と、彼に今必要な言葉が、あるはずだ。
不意に、高校時代のティームメートのことが思い浮かんだ。いつでも必死に虚勢を張っていた彼ら。折れそうな気持ちを隠すことに精一杯だった彼ら。でも、だからこそ到達できた場所。
「この間来てくれた永瀬さん、いるじゃない」
うつむいた視線を動かすことなく、石宮くんは頷く。
「同級生だったから、よく知ってる。彼もね、最初のタックル練習の時、すごく怖がってた。ラグビー部に入ってからずっと、タックルってすげぇって言ってたから引っ込みがつかなかっただけで、ホントは怖くてしょうがなかったって、引退してから言ってたんだよ」
石宮くんは、少しだけ身じろぎする。
「私は、マネージャーだったから、自分でタックルしたことなんてない。だから、石宮くんがどうすればいいのか、正直言って分からない。でもね、私も学校の先生になるために、大学出てから三年も回り道したんだ。チャレンジしようって思ったおかげで、今、君たちとも出会えたんだ」