【関連記事】「病院に行って!」背中の激痛と大量の汗…驚愕の診断結果は

出産習俗の変遷(近代から1980年頃まで)

明治時代、産婆に資格が与えられ、昭和初期には自宅で資格を持つ産婆の立会いによる出産が主流になり、そして戦後、出産は施設化し病産院で産むのが主流となっていきました。

その過程の中で、無介助分娩は問題視され、統計データや地域の実態調査によってその動向が明らかにされてきました。同時に、女性にとって出産がどのように変化していったのか、文化人類学者の吉村、松岡や、新聞記者の藤田がフィールド調査を行い、体験者への聞き取りによって出産習俗の変遷も明らかにされてきました。

吉村は、四国の離島や山村に赴き、明治の終わりから昭和50年代頃までに漁村や農村で行われた出産について体験内容を聴き取っています。これらの地域では、免許を持つ産婆が登場するまでの出産は、ひとりで産む、もしくは祖母、実母、姑など血縁者や、地縁者(取り上げ婆さん)の援助によって行われていました。

そして、この取り上げ婆さんについては、お産の援助の仕方により、「生まれた子のこの世への〈取り上げ婆さん〉」、「お産のお手伝いをする他人」、「家族か身内の援助女性(特に母親、祖母、おばなど)」の3通りに分類し、それぞれこのように説明しています。

「生まれた子のこの世への〈取り上げ婆さん〉」は、誕生の場に立会い、その子をこの世の中に「トリアゲ」、つなぎとめるという、いわば信仰的な呪力を備え、子の運命を好転に導くシャーマンの役目を果たしており、「お産のお手伝いをする他人」は、実際に産婦を抱えたり、出血などお産のケガレをぬぐったりして出産の世話をする人で、出産介助の方法は介助技術を持つ母親などから見よう見まねで学び取った人です。

そして、「家族か身内の援助女性」は、お産の介助技術よりも、精神的なサポート面の担当者であることのほうが強く、身内として、産婦の身辺の世話や、自身の出産体験を通して会得した産痛の軽減方法や坐産援助など、心身両面への寄与によって産婦を支える関係にありました。

夫の出産への参加は、出産文化の地域特性として、漁村と農村では異なります。漁村では男がいるとお産は難しくなると、祖母・実母・姉妹・叔母など女性たちの援助によって行われていたのに対し、農村では男がいないとお産は難しくなると、夫を中心とした家族全員でお産が行われていました。

出産への夫の参加習俗は、夫の生業の危険度に深く関係しており、漁村では夫が漁業で日常的にいのちの危険を伴い神経を使っているため、妻の出産に参加しなくてすむよう、周囲の女性たちによって援助がなされていました。

一方家屋が点在する農村では、近隣や血縁の応援は距離的な負担もあるためあてにせず、夫を中心とする一家全員が産婦を支え、産婦が安心して出産を乗りきれる環境を作ったのです。