革命を起こす内科医の半生
先生にとって晴天の霹靂ともいうべきことは、第二内科の助教授から第三内科の教授に就任したことです。
当時、第三内科教授の新しい教授選出に当たって、今まで通りの決まった三名の候補でよいかという動議が教授会から起こり、新たに二名が追加されました。
そのなかに冲中の氏名があり、投票の結果、先生が圧倒的多数で選抜されたのです。
四十四歳の若さでした。
先生は第三内科でも、あたたかく迎えられました。
先生はここで三つの目標を立てられました。
研究では今までと同じ自律神経研究に一層精進すること、講義には決して手を抜かないこと、第三に臨床能力を高めることにありました。
こうして第三内科の発展に全力を尽くされました。
冲中先生は若くして禿頭になりましたが、長身ですらりとして姿勢がよく、スポーツでは野球が得意で、アンダースローの投手として活躍したことがあります。
仕事についてはきびしく、回診では前日から皆、周到な準備をしました。
診察は頭から足の先まで、流れるような打聴診を示し、時には米国から導入された眼底鏡を使われて網膜変化をご覧になりました。
受持ちに不備な点があると、鋭く指摘されました。
しかし患者にはやさしく、穏やかな目で説明をし、安心感を与えるようにつとめていました。
我々医局員に対しても思いやりがあり、ぬくもりを感じさせ、謙虚で話し好きであり、誰もが認める人格者でした。
冲中先生は一口で言うと、イノベーターです。
現状に満足せず、常によりよいものに変革しようという意欲がありました。
それがあらゆる点にあらわれていました。
その主だった業績を以下に述べます。