旧制成蹊高等学校

旧制成蹊高校の教授陣は、非常にすぐれた方が多かったように思います。

実験施設も充実していました。おそらくこの教授陣容は、当時では日本一ではなかったかと思います。制度が変わって成蹊大学が発足しましたが、多くの教授が東大あるいは京大の教授に就任し、成蹊を去っていきました。

ドイツ語、英語、数学、物理、化学、植物、動物、社会学など、すべての学科に興味がありました。なかでも物理学はニュートンの力学に始まり、アインシュタインの相対性理論に終わるという感じで、分からないながらも惹きつけるものがありました。

また社会学担当の猪木正道教授は、歯切れのよい調子でソビエト革命史を講義されました。新制となって京大教授となり、その後は防衛大学学長に就任されています。

高校とともに、当時、私が幸いに思ったことは、読書に専念できたことでした。

私の家は、一階に部屋が四間と板の間、応接間があり、二階は三間と板の間があって庭も広く、母はいつも下宿人をおいて副業としていました。

洋間の応接間は、父の居室で多くの蔵書がありました。冨山房の百科事典はじめ、漱石、トルストイ、有島武郎、厨川白村などの全集があり、また日本文学全集、世界文学全集がありました。

当時はテレビがなく、携帯ラジオもありませんでした。これが幸いして、毎日むさぼるように本を読みました。このなかで漱石、鴎外は傑出しており、さらに谷崎、芥川、荷風の作品が好きでした。

外国物では、ゲーテの作品は成蹊の図書館で借りて、主だった小説はほとんど読みました。その他はツルゲーネフ、トルストイ、モーパッサン、ドストエフスキーなどに興味を持ちました。

トルストイの『戦争と平和』、『アンナカレーニナ』、『復活』の三部作を読み、とくに『戦争と平和』に感銘を覚えました。

私が感銘を受けたのは、漱石、鴎外で、とくに鴎外は東大医学部の先輩であり、その簡潔で、内容の濃い名文に魅了され、その作品はほとんど読んできました。

こうして旧制高校三年間、学問と読書三昧で教養を深めたことは、また健康長寿に大きく寄与したと思っています。

学ぶこと、広い視野で物事を見ること、何事にも興味を持つこと、これらは高齢期には重要です。退職して何もすることがないというのは、精神の貧困を表すものです。

私は若い頃は、岩波文庫を片端から読みましたが、現在はブルーバックスで自然科学に親しんでいます。科学リテラシーということが、現代に生きる人たちには必要なことなのです。

若いときオパーリンの『生命の起源』という本を読み、感銘を受けました。

要約すると、旧制高校では教養が培われたと思います。心が耕されたのです。広く学ぶということの重要性を知りました。