壱─嘉靖十年、漁覇翁(イーバーウェン)のもとに投じ、初めて曹洛瑩(ツァオルオイン)にまみえるの事
⑴
正月を故郷で過ごそうと、帰り支度をする宦官は多い。そういうわけで、この時期に城内で仕事をしているのは、身寄りがないか、わけあって田舎に帰れない者たちだともいえた。
「そんなら、いっしょに白雲観に行くか? あそこはいいぞ。線香をあげて身を清めたら、あとは無礼講だ。屋台もいっぱい出るから、好きなものが食べられるぞ」
「そう……ですか。いいな」
給金をもらったら、自分も屋台をはしごしながら、腹いっぱい食べてみたい。
「でもその若さで、まわされた先が浄軍とはなア。いったい、誰の名下だったんだ?」
「李清綢(リーシンチョウ)師父です」
「李清綢(リーシンチョウ)! すると、おまえが王暢(ワンチャン)か?」
「そうです」どうして、私の名を知っているのだろう?
「おうい、こいつが、あの王暢(ワンチャン)だってよ」
周囲の目が、いっせいに私にむけられた。
「王暢(ワンチャン)?」
「ほれ、あの、算術博士に喰ってかかった才子だ」
「ほう、大したタマじゃねえか」
「命しらずな……あのあと東廠(とうしょう)に告げ口されて、ぶちのめされたんだろ?」
「いや、違う。彼はこう見えて、武術の達人なんだ。つかまる前に一計を案じて、一網打尽さ」
どういうわけか、事実とはまったく異なる話が、捏造(ねつぞう)流布されている。
「よくやった。博士だかなんだか知らないが、おれも、あの教え方は、気にくわなかったんだ。妙に偉ぶって、もったいつけやがってよう、あんたがあの拝金野郎をやりこめたときは、胸がスーッとしたぜ」
「拝金?」
「そうとも。あいつは推薦状を書くとき、こっそり袖の下を取るんだぜ。ろくに勉強せず遊びほうけていた生徒でも、たんまり銀をさし出せば『勤勉で品行方正』なんて書いてくれるんだとさ。逆に、自分にたて突くような生徒なら、どんなに優秀でも酷評だ。『危険人物ゆえ採用を思いとどまるように』だぜ。ふるってるじゃねえか」
「あのセンセイの一言が、新人の配属先に影響するってわけだ。ま、よくあることだろうが、こっちにしてみりゃとんでもねえ野郎だぜ、まったくよう」
「シーッ! 東廠に聞かれたら、おしまいだぞ。だが、あんたはよくやった。浄軍に落とされるのもかまわずにな。なかなかできることじゃねえ」
ドン、と背中をたたかれた。私はべつに、講師の態度に反抗したのでも、拝金趣味を難じたわけでもなく、教えられる内容が、真実からかけ離れていることを示したかっただけなのである。本人の意図とはうらはらに、私はちょっとした英雄あつかいであった。世の中には、不思議なことがあるものだ。