IQ126天才少年の軌跡

Iさんは波乱の少年時代を送った二十歳の青年である。

英語力を見込まれ、現在は外資系高級ホテルの客室係として働いている。その前は焼肉料理店の調理師をしていた。そこでは何種類もの料理を一挙に同時にやってのける能力を発揮し店主を驚かせた。

さらにもう一つ前の仕事はペンキ屋のアルバイトだった。そこでも一目見ただけでペンキの色の配合具合を見極め、色の調合を一気にやってのける早業に店主は目を見張った。

焼肉屋もペンキ屋も仕事に飽きて本人の意思でやめた。

本人は忘れっぽく、整理整頓が苦手で電気はつけっぱなし、水道は流しっぱなしという欠点はあったものの、どちらの店主もその才能に惚れ込み、再三引き留めたにもかかわらず辞めたのだという。

外資系ホテルの面接でも高校の単位が足りないにもかかわらず、英語の堪能さを買われ高卒扱いで採用されていた。単位不足の理由は、高校三年の時、単位の足りない体育の補習授業に出かけたものの、肝心な体育着とシューズを忘れたため授業を受けられず落第したのだった。

Iさんは幼少期よりじっとするのが苦手で、絶えず動き回っていた。

じっとしていられないため、医療機関への受診も困難だった。親戚の法事の場でも神妙にできず、はしゃぎ回っていた。好奇心旺盛で何ごとにも興味を示し動き回るので、買い物に出かけるとたいてい迷子センターの世話になった。

乳幼児期の成長経過も変わっていて生後七か月で伝い歩きし、九か月で歩き出し、一歳半でおしゃべりを始めた。人見知りはせず、母親と離れても平気な子だった。

二歳の頃、「ママのポンポンの中でお手々パチパチしたらママ、ママ、イタイイタイと言っていた。暗かった……」と胎児期の記憶を思わせるようなことも言っていたという。

新しいもの好きで何にでも挑戦したがる癖があって小学校にも意気揚々と入学したものの、多動と忘れ物頻回で跳ね返された。授業中じっとできず、手足を絶えず揺すり動かしていたので母親が担任に懇願して授業中何度もトイレへ行かせる形で多動のコントロールをはかった。

当時は、発達障害への認識がなく、叱ってばかりいる母親の愛情不足、しつけ不足のせいとされ、親が責められる時代だった。

おしゃべりで物知りな上に気の弱い子にやさしかったため、まわりから好かれる人気者となった。ただ、ダメなことはダメで押し通す融通の利かないところもあり、ものごとをストレートに言って悶着を起こすこともあった。言ってみれば、夏目漱石の作品「坊っちゃん」のような子だったらしい。