生い立ちが物語るもの
さて、本論に戻りたい。
Aは過敏で臆病な子だった。共働きのため、生後三か月から近所の保育園に預けられた。保育園をいやがり、朝から晩まで髪をかきむしって泣いていた。離乳食も慣れ親しんだ保母でないと受け付けなかった。
環境に敏感で、保母から
「こんな子は初めて」
と言われた。保育園の夏祭りで他の子が金魚をもらって喜んで帰っても
「お魚が死んじゃうからイヤだ」
と言ってもらわなかった。デパートの風船も
「飛んでいくのが恐い」
と手を出さない。お絵描きの時も頭の中のイメージと手の動きが違うと言っては泣いた。
小学校入学の時も、名札が一文字違っていたといって泣き、入学式の間もずっと泣いていた。朝起きても着替えや準備をせず、ドアにしがみつき
「学校行きたくない!」
と泣いた。親が引きずり、姉が引きずり、友達が迎えにきてやっと行けた。父親に向かって
「どうして学校に行くの」
「どうして椅子に座って、じっとしなければならないの」
と何度も聞いた。
小学校に上がって二か月、運動会の練習で、
「ピストルの音がこわい」
と泣いた。本番の日もピストルの音をこわがり、先生にしがみついて泣きながら走った。
母親は
「新しい課題が出されると、こわがる子でした。自信がなくて泣いたんだと思います」
父親も
「臆病な子でした。命令されるのが嫌いでした。普段の生活の中でも『お父さん、それ、命令しているの』などとよく言っていました」
と証言している。
しかし、過敏で臆病で、学校になかなか慣れなかったものの小学校の六年間、一日も欠席したことはなかった。
不安と緊張が強く、新しい環境に慣れづらい。とらえ方が独特で敏感、変化に対する抵抗が強く、手順どおりにいかないとパニックを起こす。これらは広汎性発達障害に見られる特徴である。
不登校状態に陥ったAが両親に暴力を振るう動機にも、発達障害特有のこだわりがみられる。指定した商品名のおにぎりを買ってこないと母親へ暴力を振るう。父親が指定された通りのプロレスのチケットを購入出来なかったことで暴力を振るう。
毎晩ビデオ録画を父親にさせる時も、新品のテープで開始一分前にスイッチを入れ、録り終わると巻き戻す手順を父親に要求し、それが少しでも狂うと逆上した。
ただし、暴力は両親だけに限られていた。
登校時、迎えに来る級友らは暴力の存在を一切知らなかった。毎朝のように登校を渋りながら学校を一度も休まなかったという小学校時代の特異な行動も登校への不安と、決まったことは何としてもやり通そうとする強迫心性が混在しているようにみえる。
これらのことからAは知的障害を伴わない広汎性発達障害であった可能性が高い。