この事件(一九九六年十一月)に先立つ三年半前(一九九二年六月)にも類似した事件が起きていた。

埼玉浦和高校の教師夫妻が長男の激しい家庭内暴力にさらされ、ついに息子を刺殺した事件である。

頭脳抜群の息子は、有名進学校の高校に入学後まもなくして不登校、退学、その後大学検定試験に合格し、一流私立大学に入学、そして再び退学、その後荒れだし、両親への激しい家庭内暴力を繰り返した。

この二つの事件は、事件の構図が類似している。

高校教師の父親は同じ東大文学部出身で事件当時の年齢も同じ五十四歳。夫婦仲はよく、父親は温厚で高校教師として高い評価を受けていた。公判では、教え子らから減刑嘆願の署名が八万人も集まったが、最終的に父親に実刑四年の判決が下った。

この事件に関して当時の共同通信社の記者が「仮面の家先生夫婦はなぜ息子を殺したのか」という本を出版した。裏表紙には、

「父、母はなぜ息子を殺さねばならなかったのか。立派な教師、理想的な親という幻想に振り回され、共感と自信を喪失した現代の家庭の悲劇を克明にたどる追跡ルポ」

という見出しがあり、よい親、よい教師の仮面を被った虚構の家庭で起きた悲劇として、この事件を取りあつかった。

当時、家族病理として母子密着、父性機能が働かない家族システム、外面にこだわる過剰適応の問題が叫ばれていた時代でもあり、私自身、当時はそういう風にしか解釈できなかった。

しかし、今になってみると、この事件も親の問題ではなく、発達が関係してなかったかという疑念に駆られる。

しかし、この事件に関して、被害者の生い立ちや発達に関する資料は見あたらない。

金属バット事件が起きた当時、事件の背景に発達という視点はなかった。

感覚が鋭敏で何年たっても学校生活に慣れず苦しみ、まわりとの説明しがたい違和感に悩み、中学に入って母親に自殺をほのめかすほど苦しんでいた長男Aと、ひたすら暴力に耐え息子の回復を祈った父親について、吉岡氏は、冒頭で加害者から見た真実と被害者から見た真実とのあいだには目もくらむほどの深く、暗い河が存在していると述べた。

もし、その深い闇を照らし出すものがあるとすれば、それは、発達という視点ではないか。

もし、そうだとすれば、新たな視点を欠いた既存の論理や価値観で裁かれることの怖さを、この事件は物語っている。