いさりせし君

光源氏が(おぼろ)月夜(づきよ)から門前払いされて七年、二人の交際は途切れていたが、朧月夜が出家したと聞いて、光源氏は、急いで手紙を書いた。

光源氏「あまの世をよそに聞かめや須磨の浦に藻塩(もしほ)たれしも(たれ)ならなくに」(出家して尼になられたということを、他人事として聞くことができましょうか。かつて私が須磨の浦で涙を流したのは、誰のせいだったのでしょうか)

これに続けて、「かねてから出家したいと願いつつ、あなたに後れをとったことは残念ですが、ご回向(えこう)では、まず私のことを念じてくださることでしょう」などとも書いた。

朧月夜は、光源氏に手紙を書くのも、これが最後になると思い、心を込めて返事を書く。

朧月夜「あま舟にいかがは思ひおくれけむ明石の浦にいさりせし君」(私は出家して尼になりましたが、あなたの出家が遅れたのは、どうしてなのでしょう。明石の浦でいさりをなさっていたからではないでしょうか)

そして、「回向は一切衆生のためにするものですから、その中のお一人として」と書き加えた。

光源氏は、朧月夜の手紙を二条院で受け取った。それを紫の上にも見せて、「ひどく(はずかし)められたものです」などと愚痴をこぼした。朧月夜の手紙をみて、光源氏は、どのように辱められたと思ったのだろうか。それがここでの問題である。

これより二十年余り前、光源氏は、須磨へ退去した。退去の本当の理由は、藤壺と不実の関係を持ち、しかも子(その当時の東宮、後の冷泉(れいぜい)帝)をなしたことが露顕することを恐れたことにあったが、朧月夜はそのような事情を知らない。光源氏は、朧月夜との密会事件が退去の理由であるかのように装っていた。

朧月夜は、光源氏の須磨への退去の責任が自分にあるのだと思い、悩み続けていた。ところが、やがて明らかになったところでは、光源氏は明石で明石の君と関係を持ち、姫君をもうけたではないか。しかも、その姫君が、今では帝の女御となり、東宮の母としてときめいている。自分(朧月夜)はこんなに悩み続けてきたのに、その悩みは何だったのか。

それなのに、光源氏は、いまなお、須磨への退去は私(朧月夜)のせいだと言い続けている。思い返せば、私(朧月夜)は、かつて、東宮(後の朱雀(すざく)帝)に入内することが予定されていたのに、光源氏との恋愛問題のせいで、その話は流れてしまった。光源氏は、そのようないきさつについて、少しでも心を痛めたことがあるのだろうか。

その後、私(朧月夜)は、尚侍として朱雀帝に仕えることになった。朱雀帝の退位が近づいたころには、帝の情愛は、年月が経過するにつれて、ますます深まっていった。それに比べ、光源氏は、私のことをさほど深く思ってくれているように思えなかった。

それなのに、今に至ってなお、実意のない言葉を弄して言い寄ってくる光源氏が、つくづく厭わしい。これが最後の機会だから、この手紙には思いのたけを書こう。

朧月夜の心境をこのように推測したうえで朧月夜の手紙を読み返してみると、朧月夜の激しい感情が伝わってくる。

歌の「明石の浦にいさりせし君」の箇所は、明らかに明石の君を念頭に置いている。この歌では、「私は出家して尼になりましたが、あなたの出家が遅れたのはどうしてなのでしょう。明石の浦で明石の君とよろしくやっておられたからでしょう」、もっと端的に言えば「明石の浦で女(あさ)りをしておられたからでしょう」と、長年にわたる光源氏への憤懣(ふんまん)をぶつけた。

誰のために回向をするのかについて、朧月夜は、光源氏の「まず私のことを念じてくださることでしょう」に対して、「まずあなたのことを念じることなど、お断りします」と、厳しく拒絶した。光源氏は、このように、朧月夜から辱められたのだった。