【前回記事を読む】理想の男性・光源氏が“サイコパス”……? 75年苦しみ続けた“賢明な人”ゲーテの人生が突きつける源氏物語の闇
一 『ゲーテとの対話』(上)を読みながら考える
時代の不思議
ゲーテ「時代というものは不思議なものだよ。暴君のようなもので、むら気であり、世紀がかわるたびにひとの言動に対して、別人のような顔をしてみせる。古代のギリシャ人なら、堂々と言えたことも、われわれだと、もう言ってもしっくりこない。
シェークスピア(1)のたくましい同時代人には、喜ばしかったものが、一八二〇年のイギリス人には、もう耐えられないので、最近では、家庭版シェークスピアの必要が、感じられるほどなのだ。」(上一三二頁)
ゲーテの言葉は、そのまま『源氏物語』について言えることである。池田亀鑑(いけだきかん)博士は、次のように論じておられる。
「源氏物語は清少納言の枕草子と並んで、十世紀末から十一世紀初頭にかけて、世界文学史をかざる秀作であつたが、東洋の海上に孤立したわが国の国情は、その業績を世界に示すことは出来なかつた。
そればかりでなく、長い間わが国を支配してきた封建的世界観は、この物語そのものに対してもかなりの酷評を下した。ある者は、武士とその道徳が描かれてゐないから纖弱(2)であるといひ、或る者は、固有の日本精神が外来の文化によつて歪められてゐるから亡国的であるといつた。
またある者は仏教や儒教の道徳に合致しないから悖徳(3)の書であるといひ、或る者は、節度のない恋愛が描かれてゐるから乱倫の書であるといひ、甚しきは、故意にわが皇室史と混同せしめて、不敬の書であるとまで極言した位であつた。」(池田亀鑑校註『源氏物語一』一〇一〜一〇二頁、日本古典全書、朝日新聞社、昭和二一年)
また、池田弥三郎氏の解説によると、谷崎源氏(旧訳)は昭和十六年七月にようやく完結したが、「『賢木』の巻の一部が、皇室の尊厳を犯すという理由で当局の忌諱(4)に触れる怖れがあったために、訳者は自発的に削除してしまった。」とのことである。(潤一郎訳『源氏物語巻一』(改版)四九二頁、中公文庫、一九九一)
以上のような各時代の流れにかかわらず、偉大な傑作は、時代を超えて、生き続けてゆく。
(参考)
(1)シェークスピア 一五六四〜一六一六 イギリスの劇作家・詩人。
(2)纖弱(せんじゃく) かよわいこと。
(3)悖徳(はいとく) 徳義にそむくこと。
(4)忌諱(きい。正しくは、きき) いみきらうこと。