世界史的事件
ゲーテ「私は、たいへん得をした。(中略)つまり、最大の世界史的事件が、まるで日程にのぼったかのように起こり、それが長い生涯を通じて起こりつづける時代に生まれあわせたからだ。
おかげで、七年戦争をはじめとして、アメリカのイギリスからの独立も、さらにはフランス革命も、最後にはナポレオン時代の全部、この英雄の没落とそれにつづく諸事件にいたるまで、一切を私は、この目でみた生き証人なのだからね。このため、私は、現在生まれてくる人たちが持つかもしれないものとは全く違った結論や判断に到達したのだ。
彼らは、例の大事件を、書物を通じて学ぶほかはないし、それでは真実は理解できないのだ。」(上一三四頁)
『源氏物語』を書いた紫式部は、どのような事件に遭遇しただろうか。
花山(かざん)帝は、九八六年、騙(だま)されて出家され、退位された。帝を騙した実行行為者は藤原道兼(ふじわらのみちかね)であるが、首謀者は道兼の父で右大臣である藤原兼家(かねいえ)であった。
このとき、紫式部の父為時(ためとき)は、式部大丞(しきぶのだいじよう)であったが、帝の出家・退位により、官職を失った。いわば失業である。紫式部の生年を一応九七三年とすると、このとき十四歳である。
これ以後、為時が越前守(えちぜんのかみ)に任じられる九九六年までの十年間、為時は散位(さんい)(位階があって、官職がない)のままであった。
帝を騙して退位させた張本人である兼家は、摂政になって、政治権力を握った。これ以後、兼家や兼家の長男道隆らの栄華の時期が続く。為時らの憤りは激しいものであっただろう。紫式部は、父為時と憤りを共有し、その憤りが『源氏物語』執筆のエネルギー源となった。
これ以外の事件としては、平将門(たいらのまさかど)や藤原純友(すみとも)の乱は九四〇年ごろのこと、左大臣源高明(たかあきら)が左遷された安和(あんな)の変は九六九年のことで、それほど年月が隔たっているわけではない。
また、菅原道真(すがわらのみちざね)が太宰府(だざいふ)に左遷されたのは九〇一年のことなので、紫式部の時代とは約一〇〇年隔たっているが、九九三年六月には道真に左大臣正一位(しよういちい)、同年閏(うるう)十月にはさらに太政大臣(だいじようだいじん)が贈られた。道真の怨霊(おんりよう)が相当元気を出しているらしい。
これらの事件の直接・間接の経験が、『源氏物語』の執筆に大きく寄与したに違いない。
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