明石一族の栄華

光源氏と明石の君の間に生まれたのが、明石の姫君。明石の姫君は、東宮の女御として入内し、東宮が帝の位に即かれたことに伴って、明石の女御腹の第一皇子が東宮になられた。

世間の人々には、受領(ずりょう)階級の娘である明石の君が最上流貴族である光源氏と結ばれて姫君を産み、その姫君が今では帝の女御、その女御腹の皇子が東宮になられたということが、知れ渡っている。

物語は、「これを(ためし)にて、心高くなりぬべきころなめり」とする。

すなわち、上手に立ち回れば、受領階級であっても、このような栄達をすることができるのだから、自分もうまく立ち回って、明石一族と同じように栄達したいと思う時節になってきたと言うのである。

これに続けて、物語は、「よろづのことにつけてめであさみ、世の(こと)(ぐさ)にて、『明石の尼君』とぞ、(さいは)(びと)に言ひける」とする。ここで、「めであさむ」は、物語の作者の造語らしいが、感嘆すると同時に軽侮するというほどの意味だろう。

「明石の尼君」とは、明石の君の母親のことである。世間の人々は、幸運に恵まれた人のことを「明石の尼君」と呼ぶ。その心は、明石の女御の実母が受領階級出身の明石の君であることを隠し、高貴な身分出身の紫の上(親王の姫君)が女御の母親であるかのように装って、つまり世間に「うそ」をついて、明石一族が栄華を(つか)み取ったことへの軽侮である。

物語の作者は、まだ容赦しない。

「かの致仕(ちじ)の大殿の近江(あふみ)の君は、双六(すごろく)打つ時の言葉にも、『明石の尼君、明石の尼君』とぞ(さい)はこひける」とする。「致仕の大殿」とはかつての頭中将、「近江の君」はそのご落胤で、教養のない、蓮っ葉な姫君である。この姫君が双六の賽を振るときに、よい目が出る幸運を願って「明石の尼君、明石の尼君」と叫ぶのである。この姫君は、帝の女御や東宮の出自に関することであっても頓着しない。

表向きは身分や家柄を重要視しながら、「うそ」がまかり通っている貴族社会に、紫式部は、我慢ならなかったのだろう。