浮舟は、母君から、八の宮(桐壺帝の第八皇子)のご落胤(らくいん)であると繰り返し聞かされて育ったが、八の宮は浮舟をわが子として認めようとしない。
浮舟の現実の境遇は、常ひた陸ちの介すけの北の方の連れ子でしかない。常陸介からは分け隔てされる。左近少将(さこんのしょうじょう)との縁談は、浮舟が常陸介の実の娘ではないことが理由で破談となった。
その後、紆余曲折を経て、薫と匂宮の二人の貴公子から言い寄られることになったが、二人のどちらに傾いても、醜い争いが起きることを避けられそうにない。
ついに、自らの身を消すことが最善の道だと心を決め、身投げを図ったが、横川の僧都(そうず)に助けられた。浮舟は、僧都に泣いてすがって出家することができた。
ところが、僧都のところへ薫が現れると、僧都は、右大将という高位にある薫をはばかって、いとも簡単に浮舟に還俗(げんぞく)を勧める始末である。浮舟は、当然、僧都の勧めを拒絶する。
もう誰に頼ることもできないと、浮舟は、覚った。
このように、浮舟は、人生行路において、さまざまな出来事に遭遇するが、個々の出来事に右往左往することなく、自分の目でよく見据え、熟慮して、一歩ずつ慎重に、しかし、決心した以上は迷わずに歩んでゆく。経済的に困窮して、山野をさすらうことになろうとも、自分で納得して決めた道だから、後悔することはない。
他人の言いなりになるのではなく、自らの判断するところによって生きてこそ、「自分の人生を生きた」と実感することができる。浮舟は、苦闘の末、「自分の人生を生きる」ことに目覚め、決断した。
なお、浮舟は自ら「生き出でたりとも、あやしき不用の人なり」(⑥二八八頁)(生き返りましても、見苦しくて、何の役にも立たない者です)と言う場面があるが、浮舟は、「不用の人」であるどころか、「自分の人生を生きる」ことに目覚め、決断した人であり、『源氏物語』の最も重要な登場人物の一人であることを、ここに特記しておきたい。
以上のように、『源氏物語』は、「人間」と「人間社会」とを丹念に観察して、貴族社会とそこに生きる人々の腐敗や堕落、滑稽さや愚かしさを暴くとともに、そのような社会において「人はいかに生きるべきか」という問題について、冒頭の桐壺更衣の物語と宇治十帖の浮舟の物語とを合わせ鏡のように呼応させて、浮舟のごとく、「自立して自分の人生を生きる」ことであると結論づけた壮大な物語である。