「風刺文学」としての『源氏物語』
紫式部が『源氏物語』を書いたのは、平安京が都とされてから約二百年経ったころ、国の内外に大きな騒乱もなく、貴族社会が安定、成熟した時代であった。
社会の成熟は、その内部に、腐敗や堕落を醸成する。世の中の動きや人々の動きを冷静に見つめていた紫式部の目には、貴族社会に充満する腐敗や堕落が、滑稽で愚かしいものに見えたに違いない。
紫式部は、貴族社会とそこに生きる人々の腐敗や堕落、滑稽さや愚かしさを、特定の人物や出来事そのものではなく、物語の形に再構築して、ユーモアと皮肉を交えながら書き綴った。
『源氏物語』に描かれている貴族社会とそこに生きる人々の腐敗や堕落、滑稽さや愚かしさの事例を拾い集めてみると、それらの根底にあるものは、うそ、不誠実、うぬぼれの心、見えの心、嫉妬心、競争心、不正な蓄財、固定観念への執着、旧来の慣習の墨守などである。
これらはどれも、人の生き方として美しくない。さらに言えば、見苦しい。
このようなことを念頭に置きながら『源氏物語』を読み返してみると、『源氏物語』の世界は、ほとんど「喜劇」の世界である。
『源氏物語』は今から千年前に書かれたが、現代に至ってなお新鮮であり続ける「風刺文学」であると言うほかない。
人はいかに生きるべきか
人々の腐敗や堕落、滑稽さや愚かしさで満ちている、「喜劇」のような世界で、人はいかに生きるべきか。桐壺更衣の物語で、更衣は、「いとかく思ひたまへましかば」(こういうことになるとわかっていましたなら)と言ったが、物語には「こういうことになるとわかっていたら、どうすべきだったのか」が書かれていない。
これは、人はいかに生きるべきかという問題そのものである。
紫式部は、五百人を数える登場人物の生きざまや死にざまを子細にたどったうえで、『源氏物語』の最後の十巻である宇治十帖(うじじゅうじょう)の主人公浮舟の生き方に到達した。