「俺のせいなんだ」
「諌さん、質問させてください」
庄兵衛の声は星の瞬きに似ている。闇をいつも晴らしてくれる。
「なぜあなたは、裕子さんの人工呼吸器を外してあげなかったのですか」
それはわたし自身が何万回も問いかけてきた問だ。胸の内では、外してあげたいと願ったこともたしかに覚えている。だが実行に移すことは、できなかった。
「いいか、庄兵衛。意識がない患者の人工呼吸器を外すということは、そのまま死に至らしめることだ。そのような選択を安易に下すことはできない」
それは医師の倫理と義務の話。しかし庄兵衛は、そんなつまらない答えが聞きたいんじゃないと不満を露わにした。
「けれども稔さんに治療続行を伝えるとき、諌さんの声は今にも泣き出しそうでしたよ。まるで諌さん自身も苦しんでいるようでした」
「え」
「諌さん自身にも、似たような経験がおありなのですか」
その言葉がきっかけとなり、裕子さんの記憶とは異なるなにかが頭の片隅に過ぎった。水色のなにかが赤で染まる。だれかが泣き叫んでいる。響くサイレン、白い壁。
あれは――
その記憶に触れようとしたとき、喉をこじ開けるように酸っぱいものが迫りあがってきた。
うねるような勢いに堪えきれず、そのまま水面に垂れ流す。舟のまわりに不快な匂いが立ちこめたが、庄兵衛が櫂を漕ぎ続けてくれたおかげで、匂いはたちまち消え失せた。
わたしは手を柄杓(ひしゃく)代わりに水を掬(すく)い、口のなかをすすいだ。水は真水のように澄んでいてなんの味もしない。
「大丈夫ですか」
「すまなかったな。無様な姿を見せて」
わたしはふるえる掌をぎゅっと握りしめた。さっき見た光景はなんだったのだろう。それを思い出そうとすると、言い知れぬ不安と吐き気が襲ってくる。わたしは追想を放棄した。きっと触れてはならない記憶なのだ。